メールマガジン

「今だから話せる佐藤のコラム 第43号」(初めての海外生活43)

┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2020.10.08
┣━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第43号」(初めての海外生活43)をお届けいたします。

==========================================================================

横浜初めて物語と佐藤の中国生活13
                       9月24日     佐藤忠幸
 
 9月も下旬となったら、上旬の暑さがウソのように急に涼しくなってきました。
台風も近付いたとか秋本番ですね。天然自然は季節を忘れないのだなと実感させて頂いております。
その秋の中でも、富岡川せせらぎ緑道で相変わらず元気な花はサルスベリとムクゲです。
サルスベリは漢字で書くと百日紅と書きます。どうしてそう書くのか知りませんでしたが、紅色で華やかな時期が100日間もある珍しい花だからだそうです。
8月迄の間に2週間しか咲かなかった裏山の木も9月になったら元気に咲き出し、この分なら10月中旬までもちそうです。
 ムクゲは漢字で木槿と書き、韓国では木槿の他に無窮花とも書いています。
韓国の国花であることは良く知られていますが、古くは新羅国の国花でもありその頃に日本へ伝わった極めて歴史の古い木花です。花の殆どは一日で散り新しい花と生まれ変わりますから贅沢な木です。但し木のふもとは枯れ落ちた花弁だらけ、毎日数回掃き掃除しなければならず大変ですね
 
今号は「横浜初めて物語」と中国生活で得たエピソードを送らせていただきます。

【意外に古い日本のパンの歴史】
 涼しくなり、食欲の秋を想い起させて頂ける今日この頃です。
そこで想うのが主食です。主食といえばご飯か麺類そしてパンですが日本では意外に知られていないパンの歴史について調べました。
 パンを世界的に見ると何千年も前から食べられていますが、日本ではいつごろから食べられているのかご存知でしょうか?
日本にはじめてパンが入ったのは、1543年種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともにパンが伝わったとされています。
ちなみにブレッドを日本では「パン」と呼ぶ理由は、種子島に伝わった「パン」というポルトガル語に由来しています。もう500年近くも前から呼んでいる名称ですよ。
 その後、フランシスコ・ザビエルら来日したキリスト教宣教師によって、日本でもパンが焼かれるようになりました。しかし、江戸幕府の鎖国政策によって西欧文明であるパン作りは禁止され、長崎の出島だけで細々と作られる時代が長く続きました。
 江戸時代後期になると、日本周辺諸国において欧州列強の侵略戦争が続発し始めました。なかでも酷いのは、イギリスのアヘン戦争による中国侵略です。江戸幕府は日本にも攻めてくるのではと警戒し、戦場での兵糧として注目したのが長崎で作られていたパンです。
戦地でも米を食べるには火をおこさなければならず、敵に居場所を知らせてしまいます。
この問題を解決し、そして軽く持ち運びし易いことからパンが注目されたというわけですが、兵糧としてのパンは食べられることがなく済みました。
 江戸幕府が倒れて明治時代に入ると、西洋文化が一気に花開き、横浜や神戸でパン作りが広がりました。西洋から伝わった製法そのままのパンも作られていましたが、東京木村屋の「あんパン」、東京中村屋の「クリームパン」等の、日本特有のパンが開発されるなど、各地で普及したのも明治時代です。
 さらに大正時代になると、ドイツ式のパン製造法、アメリカ式の菓子パンの製造方法などが伝わり、さらに一般社会に浸透していきました。
 戦後になると、学校給食にも登場するほどパンが普及しています。
 
 私も給食のコッペパンを懐かしく思い出されます。
 あれが無かったら昼食はさつま芋だったかもしれません。

【我が国最初のパン製造】
 日本ではじめてのパン屋は諸説あるようですが、日本人のパン屋の元祖は1860年(文政2年/万延元年)横浜の内海兵吉によるパン製造開始説が正しいようです。
内海兵吉は、フランス軍艦ドルドーニュ号乗り組みのコックから手ほどきを受け、日本の小麦粉を使って現在の横浜開港資料館の辺りで、「パンのような、焼饅頭のようなパン」を焼き、「和風パン屋」として開業したと言われています。
 今では当たり前に食べられている、角型の食パンの元祖は「ヨコハマベーカリー」です。
1862年(文久元年)にイギリス人グッドマンが「日本最初のヨーロッパ風パン屋」を横浜に開店します。それをロバート・クラークが引き継いで35年間焼き続けました。その後、1875年(明治8年)に弟子の打木彦太郎が継承し、宇千喜麺麭製作所と称しました。
そのパン屋が、「ヨコハマベーカリーウチキ商店」となり、今でも横浜元町にある「ウチキパン」に繋がっています。
 開港によって外国人が増えた横浜には、外人の常食として一日も欠くことのできないパンを売る商売も必要となり、ヨコハマベーカリーも生まれた訳です。
殆ど同時期にアメリカ人やイタリア人経営のパン屋が横浜山下町に3軒も生まれましたが何れもヨコハマベーカリーを抜くことは出来ず廃業しています。
3軒の異人ベーカリーがヨコハマベーカリーを抜くことが出来なかったにはそれぞれ理由がありましたが、それは現代のビジネスにおいても参考になると思い記します。
 第1の理由、は明治政府が日本の近代化を促進するために雇い入れた外国人の大多数がイギリス人だったこと。イギリス人は全て米飯を食べずパン食生活を続けた関係上イギリス風の大型型焼食パンが自然に勢いを得た。
 第2の理由は、大型型焼食パンがおいしかったことである。
このパンは舶来の上等粉でないと絶対作れない。当時の日本のパンは珍奇食品扱いだから、どうせ食べるなら上等のものがよいとなる。また当時は品質の劣る日本産小麦で作った小型のフランスパンは皮が厚いため日本人の嗜好に会わなかった。
 第3の理由は、日英貿易の成長発展に日本政府の親英政策が加わり、イギリス国籍のロバート・クラークのヨコハマベーカリーが同業中のトップとして地歩を固めやすかったこと。
徳川幕府時代はフランスの指導援助によって軍を近代化したが、明治新政府はイギリスの指導援助によって軍の近代化を進めた。軍は兵食としてパン食を採用することになるが、海軍の場合港がある横浜にパンを発注することになる。そして、イギリスの軍事教官によって指導されるのだから英国人経営のヨコハマベーカリーが優位を占めることにならざるを得ない。

 これで分かるように横浜がパンの本場でありヨコハマベーカリーが横浜を代表するイギリスパンの総本山でした。
 なお、パンは発酵によって作られます。以前お知らせした様に横浜はビールの日本発祥地です。当時のビールは競争相手がないのでビール会社はパン屋が望むままにホップを分けたとのことも幸いしたようです。
 メイン食材を分けてあげるなんて今では考えられないことですね。

【中国の秋分の日(月餅節)】
 9月22日は「秋分の日」という祝日でお休みでした。
秋分の日は、国民の祝日に関する法律によって制定された祝日で、「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」日と定められています。
天文学上では、太陽が秋分点を通過した瞬間を「秋分」といい、その瞬間を含む日を「秋分日」といいます。この日は太陽が真東から昇り真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ同じです。
秋のお彼岸の中日にあたり、「秋分の日」を境に昼は短く、夜は長くなっていきます。
 しかし、庶民にとって大事な「中秋の名月(十五夜)」は来週から始まります。それとは別に何故「秋分の日」という祝日があるのかと疑問でした。
調べたら(間違ったらごめんなさい)もともとは歴代の天皇・皇后、皇族の方々を祀る「秋季皇霊祭」を行う祭日であり、戦後の1948年(昭和23年)に米軍指導の基に「秋分の日」と変えられた半分こじつけのような祝日です。
 だから世界的には「秋分の日」という祝日はなく、日本独自の祝日です。

 中国では、旧暦の8月15日にあたる日を「中秋節(仲秋節)」という祝日になっています。
すなわち、中秋節は十五夜の満月を愛でながら秋の豊作を祝う節句で、「春節(旧正月)」「端午節」と並ぶ三大節句のひとつとして盛大にお祝いし、学校や会社も大型連休となります。
 2020年の今年は10月1日がその日で、国慶節と重なるため10月8日までの8連休です。
 中秋節は別名「団円節」や「団欒(だんらん)節」とも呼ばれ、大変おめでたいことの意に使われています。この日は嫁いだ娘も生家に戻り、家族たちと食卓を囲んで久々の一家団欒を楽しみます。
中国ではどこも欠けていない満月を「円満・完璧」の象徴と考え、一年のうちでもっとも円に近い中秋の満月(十五夜)を大切にしています。
 日本では、秋分の日といえばおはぎ、お月見といえば団子をお供えします。何れもあんこが生命ですが、それに使われる小豆の旬が秋であること、当時貴重だった砂糖をあんこにたくさん使った贅沢品だったため、特別な日や大切な人に振る舞うものとして定着したとのことです。
 中国では満月に見立てた丸い月餅を家族で切り分けて食べ、家庭円満と皆の健康を祈ります。したがって、中国ではこの時期を「月餅節」とも呼んでいます。
月餅は、今では年中通して購入できますが、本来は中秋節の時期にしか食べられない特別な高級お菓子でした。
 日本の横浜中華街でも中秋節の頃になると、この時期だけ作られる特別な中秋月餅が店頭に並びます。お店によって様々なバリエーションがありますので、各店の味をいろいろ食べ比べてお気に入りを見つけてみてはいかがでしょう。
その代表的なものが、餡の中に塩卵の黄身が丸ごと入った鹹蛋(タンファン)月餅です。鹹蛋とは塩漬けにしたアヒルの卵の黄身のことで、鶏卵よりも脂分が多く、ねっとりした濃厚な味わいが特徴です。
厚みのある鹹蛋月餅をふたつに切ると、餡の真ん中にオレンジ色の丸い黄身が姿を現わし、まさに満月のお月様のようです。
とろりとした黄身の塩味と、程よい甘さの餡が絶妙にマッチした鹹蛋月餅は、見ても食べても楽しめる風雅な秋の銘菓といえるでしょう。
 私も中国に居た時は毎年処々から頂き有難く思ったものです。

【マレーシアの月餅が一番だった】
 私は中国生活をする前、1990年から9年間マレーシアの首都クアラルンプール(KL)及びその周辺で暮らしましたが、ここで食べた月餅が最も美味かったと記憶しております。
それは、シンガポールのお客からも購入を依頼されたほどです。
 シンガポールは中国系民族が大多数を占める中国文化の金持ち国家で、マレーシアをいつも見下していましたが、月餅だけはマレーシア・KLのお菓子屋には勝てなかったようです。
その月餅は日本の自宅にお土産で持ち帰っても大変喜ばれたものです。
KLで買うのは、鹹蛋(卵)月餅と木の実月餅の2種類です。どちらもあんこの甘味を抑え程よい硬さの絶妙な味でした。
後に中国・上海で暮らすようになった時、同じものを探しても見つからず、どれほど高いものでも日本では喜ばれた記憶がありません。
 マレーシアもシンガポールも多民族国家ですが、マレーシアでは中国系が30数%、シンガポールは中国系が70数%います。しかし中国は超大国です。何処の省・都市出身かということで言葉も歴史も変わり、月餅も変わります。
 月餅は、味も中身もその地方地方で異なります。
時代によって味の好みも変わってきますが、月餅は伝統を重んじるお菓子ですので、そのお店、その地方の味を変えられません。
だから、シンガポール人は自分の伝統とは異なる味のKLの月餅を食べたくても地元シンガポールでは買えないため、悔しいがKLから買ってきて欲しかったのでしょう。

 私やシンガポール顧客が欲しがった月餅は中国の何処系なのかが分からなく、中国の地方へ行く度に同じような月餅を探しましたがとうとう見つかりませんでした。
KLで買ったあの美味い月餅は中国の何処の名物なのかなー。

 しかし、月餅は中国では相変わらず中秋節の贈答品として根強い需要があります。
今年は新型コロナウイルスの影響で市場が縮小し、販売額は前年比11%減だそうですが、それでも、約2,720億円となる見通しです。たった1週間に売る月餅だけで!ですよ。
 縮小したとは言え月餅は相変わらず大きな市場ですね。

 まあ、月餅でなくても中国市場は巨大です。
 何とか仲よくして欲しいものです。
 菅さんはどう向き合うのかな?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
佐藤忠幸/Sato Tadayuki 
TEL&FAX 045-771-1745 
MP 080-5467-4187
E-Mail: tada-sato@mvb.biglobe.ne.jp
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃発行元:公益社団法人いわき産学官ネットワーク協会(ICSN)事務局  
┃住  所:〒970-8026 福島県いわき市平字田町120番地
┃     LATOV6階 いわき産業創造館内
┃TEL    : 0246-21-7570      FAX    : 0246-21-7571
┃E-mail : iwaki-sangakukan@bz01.plala.or.jp 
┃URL   : http://www.iwaki-sangakukan.com
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃※配信の登録、及び解除については、こちらからどうぞ↓
┃ http://www.iwaki-sangakukan.com/m_magazine/
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



公益社団法人いわき産学官ネットワーク協会
〒970-8026 いわき市平字田町 120番地 LATOV6F いわき産業創造館内
TEL:0246-21-7570  FAX:0246-21-7571 E-mail:iwaki-sangakukan@bz01.plala.or.jp
Copyright (C) ICSN All rights reserved.