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「今だから話せる佐藤のコラム 第38号」(初めての海外生活38)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2020.05.15
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第38号」(初めての海外生活38)をお届けいたします。

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横浜初めて物語と佐藤の中国生活⑧
                          4月24日     佐藤忠幸
 今年の桜は他の木の開花時期と重なったこともあって見応えがありましたが、お花見自粛となり「花見で一献」は出来ませんでした。
他の季節行事も全て中止となりました。地域社会人講座なども全て中止です。
社会と接する機会の少ない老人にとっては本当に辛いことですが「我慢」の時ですね。
 富岡川せせらぎ緑道の散歩も出来るだけ自粛し、人通りが殆どいないご近所の坂道の往復とか通院ぐらいしか出かけられません。
 そう言う中でツツジなど見事な花木が数多くありますが、いま特に目立つのがアメリカハナミズキです。
アメリカハナミズキは名前の通りアメリカからの渡来種です。
日本には東京がアメリカにサクラを贈った返礼として、1915年(大正4年)アメリカ政府から30本贈られたのが最初だそうです。
日本に来て既に105年も経ったのですね。

今号の「横浜初めて物語」は、「君が代」発祥地と吹奏楽発祥地について報告いたします。
併せて引き続き、16年間にわたる私の中国生活で得たエピソードを報告いたします。

【吹奏楽発祥の地】
 1870年(明治3年)8月、横浜山手公園音楽堂でフェントン指揮、薩摩バンドによる演奏会で、初代礼式曲「君が代」が日本で初めて演奏されたことは前号で報告しましたが、その「君が代」が横浜で作られたとは知りませんでしたし、意外な気がします。
何故なら古典文学調の歌詞、雅楽風のメロディなど奈良や京都で生まれた歌のように思っていたからです。

 「君が代」が作られたのは、以前ご紹介した横浜市山手公園近くの「妙香寺」です。
妙香寺は、昔は広い寺領を持っていた名刹で、明治に外国人の居留地となるまで山手公園のあたりも妙香寺の敷地でした。
今は敷地外の門外にも「君が代由緒地」と書かれた石碑がたっているほど広かったということです。その石碑先の石段を登って山門から中に入ると、広い境内に「国歌 君が代発祥の地」の石碑があります。
さらに奥に入ると、「日本吹奏楽発祥の地」という石碑まであるのに驚きます。
そうです、ここは「君が代」だけでなく、日本の吹奏楽発祥の地でもあるのです。
 
 1869年(明治2年)、鹿児島湾に停泊していたイギリスの軍艦から聞こえる軍楽隊の音楽に薩摩藩 島津久光が感銘を受け、薩摩藩に軍楽隊を作ることを決意したことから、日本の吹奏楽の歴史が始まったのです。
当時の日本では軍楽隊を指導できる者はいないため、薩摩藩は指導をイギリス軍に要請したところ、指導者に選ばれたのは横浜に駐留していたイギリス第十連隊のジョン・ウィリアム・フェントン軍楽長でした。
薩摩藩は藩士32名を「薩摩藩洋楽伝習生」として横浜に派遣することになり、イギリス軍の駐留地に近い妙香寺が、洋楽伝習生たちの寝泊りと練習の場所となった次第です。
 練習を重ねた薩摩藩洋楽伝習生は翌年の1870年、フェントンの指揮のもと、妙香寺の隣にある山手公園の演奏会に出演するほどにまで成長しました。
このことは、当時、横浜に居住する外国人向けの新聞で「サツマバンド」として紹介されています。

 薩摩藩は、1862年(文久2年)に「生麦事件」を起こしており、それが故に薩英戦争までしています。
そのたった8年後に、戦争相手のイギリス軍に軍楽隊の指導をお願いするとは!!
 薩摩藩というか島津久光は開けていた方ですね。
 この様な指導者こそ今の日本に必要だなーと思う昨今です。

【「君が代」発祥の地】
 イギリス軍楽隊のフェントンは、薩摩藩洋楽伝習生への指導をはじめる時、日本国歌の指導からやろうと提言しましたが日本には国歌がなく断念せざるを得ませんでした。
それを伝え聞いた当時薩摩藩の砲兵隊長であった大山巌(おおやまいわお)の発起によって、「君が代」が誕生したと伝わっています。
ちょうど、イギリスのエジンバラ王子の来日があり、儀礼に演奏する日本の国歌の必要性が高まったのですが、当時の日本には国歌の概念はありませんでした。
 国歌という概念にはじめて触れた大山巌などの薩摩藩士は、日本にも国歌を作ろうと検討をはじめ、 古今和歌集に記載されていた目出度い歌として小唄や長唄、浄瑠璃でも幅広く親しまれている「君が代」が歌詞として選ばれたのです。
この歌詞に合わせた作曲を依頼されたフェントンは、讃美歌風のメロディを作り、1870年(明治3年)に、この「君が代」がはじめて演奏されたという訳です。

 しかし、この初代「君が代」は美しいメロディだが歌詞と合わず歌いにくかったことと、西洋音楽がまだ一般的ではなかったことから、明治13年に作曲し直され、明治21年に編曲されたのが今の「君が代」で、フェントンのメロディは消えました。

 「君が代」が出来た当時は国歌としての位置づけはなく制度もないため国を代表する儀礼歌とされ、それが近年まで続いていました。
驚くことに、1999年(平成11年)8月「国旗及び国歌に関する法律」によって、ようやく「君が代」は日本の国歌と制定されたのです。(公布日である8月13日が「君が代」記念日)。

 私の幼少時代から、学校や国技館で「国歌斉唱!!」と言われ起立させられていたのを思い出しますが、あれは何だったのかなー。
余談ですが、「君が代」は、世界で最も短い歌詞の国歌ともいわれています。

 讃美歌風の美しいメロディで歌われる「初代君が代」は、現在のものとはまた違った魅力があるかもしれません。
横浜の妙香寺では毎年、体育の日にフェントン作曲の「君が代」が聴けます。
それも、公益社団法人 日本吹奏楽指導者協会主催という権威ある演奏会ですよ。
お暇がありましたらどうぞ。
 10月の体育の日なら新型コロナウイルスの峠も過ぎているだろうと期待しています。
 

【中国企業はボス(老板)次第】
 中国企業の幹部はボス即ち社長に従い、一般社員は幹部に従うことは有名です。
この習慣は政治の世界でも同じですので新型コロナウイルスへの対処は極めて配慮深く行っています。
これに誤りがあれば一挙に幹部いやボスに対する従属感が消えてしまうからです。
 このボスを中国では「老板(ラオパン)」と呼びます。
 老板を辞書などの翻訳では「オーナー経営者」と訳されていますが、少々違和感があります。
老板とは、何もオーナー経営者に限ったことでは無く、実際に強力な権限を行使して部下を従わせているかどうかが重要だからです。
そして深刻な問題は、中国にある日系企業に派遣されている日本人社長が老板となっていないことです。

 中国は、人による統治だと言われますが会社も全く同じです。
中国では、愛社精神や組織に対する忠誠心は希薄ですので、そこのボス即ち社長に幹部は従い、その幹部に一般社員は従うわけです。
しかし、社長が尊敬に値しない、即ちボス(老板)になれない会社は悲劇です。
 自分は社長だから・・・・と思っても、下がそう思わなければ老板にはなれません。
その場合その会社を実質的に牛耳る「陰の老板」が生まれる訳です。

 陰の老板が複数いたら猛烈な派閥競争となり会社はあっという間に分裂し終わりです。
特に非難中傷合戦は凄まじく、社長や親会社がそれをしっかりと把握しなければ監督官庁への垂れ込みまで平気でされます。

 陰の老板が一人の場合はどうなるか?
 日系企業で、社長が日本人の場合は殆どの会社で社長が老板になりきれず、必ずと言ってよいほど、会社NO.2の中国人副社長などの陰の老板がいます。

 四国ソーイングの上海郊外における合弁会社M社の事例です。
 ここM社は、日本の大商社との共同出資ですが、上海市の下部自治体も少額ですが株主に加えて各種ライセンス取得などに便宜を図ってもらっていました。
 M社の幹部体制は次のようで多くの日系大企業と同じです。
  会長・・・日本の大商社から派遣。上海都心の事務所に常駐し主に営業と資金管理。
  社長・・・四国ソーイングから派遣。工場に常駐し主に工場管理。
  副社長・・・地方自治体役人の一族に任命。工場に常駐し主に人事労務、財務の管理。
  管理者・・・四国ソーイングから派遣の技術課長1人以外は全員中国人。
 M社で日本人は、会長と社長そして技術課長の3人だけ、その他は全て中国人です。
そのトップが副社長です。
 中国人のトップであり、人事労務と財務すなわち「ヒトとカネ」を握った副社長の影響力・支配力は会長や社長をはるかに超えた「老板」であったことはご想像通りです。

【陰の「老板」の功罪】
 四国ソーイングの中国合弁子会社M社の社長は、製造畑の出身ですので人事労務、財務などの事務畑は苦手です。
そこで、そういう(製造工場としては)雑務の事務作業や役人相手の業務はローカル人材に任せようという訳で、中国人副社長J氏の職分としました。
J氏は地元役人の一族ですので、地元ネットに強く地方政府にも強い影響力がありました。
また人事労務や財務知識も豊富で、非常に適任だと思われた時期もあったようですが、数年経って強い権力が生まれると様々な弊害・不正行為が生じてきました。

 J氏の不正行為は、働きに比べて給与が安い、出資者への配当が少ないなどという不満のためという表の理由をはるかに超えた大きなものでした。

中国における企業内の不正行為による個人的な利益吸収方法は、一般的には下記です。
・その1、スクラップ・廃材の勝手な処分。この利益は莫大。
・その2、仕入れ価格操作、上前をバックさせる。
・その3、外注との結託、価格操作とスクラップ操作、外注責任不良も社内で直す。
・その4、身内の関連会社で社員を休日に働かせ、給与を自社で負担させる。
・その5、設備・器材を勝手に持ち出し、自分の関連会社で使う。
・その6、歩合給を稼ぎやすい仕事を、お気に入りの部下に配分して味方にする。
・その7、お気に入りの部下の残業時間操作をして恩を売り味方にする。
・その8、味方にならない部下は人事考課や仕事の配分など不利益を与えて辞めさせる。

 M社のJ副社長は上記の大半を日常的に行っていました。
詳細はまたの機会にご紹介しますが、不正行為が何故分かったかというと、親会社社長と私とで採用した新人管理者が見つけてくれたからです。
また彼らへ会社改革を期待して不満層からのタレコミがあったからです。
 過去に、老板の横暴や不正行為に気が付いた者や、反旗を翻した者はどうなったか?
徹底的ないじめと干しあげで辞めざるを得なくなるように追い込まれていました。
こうなったら恐慌政治です。
 優秀な社員は残らず辞めるか辞めさせられたのですから、M社は極めて危険な状態です。
しかも側でそれを見ている社長は、それに気が付かぬはずはないのですが、自分の職分ではない、と知らぬ顔ですのでますます危険です。

 モノ作りしか経験のない職人上がりの「名目的製造部長」を経営者として社長に送り込むと、会社経営をローカルに放任してしまい、結果はこうなるという典型的なお話しです。

 日本政府・各自治体の新型コロナウイルスへの手遅れ感が強い対処を見ていると、成程なーやっぱりそうかー、とがっかりしてしまいます。

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