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「今だから話せる佐藤のコラム 第34号」(初めての海外生活34)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.12.26
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第34号」(初めての海外生活34)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第34号」(初めての海外生活34)◇

横浜初めて物語と佐藤の中国生活④
                           12月24日     佐藤忠幸
 メリークリスマス!
冬になったかなと思ったらもうクリスマス。
もう直ぐ年越しで2019年(令和元年)も終わろうとしています。
本当に色々とあった短い1年でした。
 富岡川せせらぎ緑道では「今咲いているのは俺たちだけだ」とサザンカが頑張っています。
今号の「横浜初めて物語」は、幕末に開港した横浜の近代関連史を報告します。
併せて引き続き、16年間にわたる私の中国生活で得たエピソードを報告いたします。

【続く膠原病との闘い】
 年末にあたって、私の近況を報告いたします。
私の膠原病は、7年前からどこの病院でもいくら検査しても「膠原病の症状があるがその原因が不明であり、膠原病とは断定できない」と言われ続けられるだけで、何も治療出来ませんでした。
それが今年の4月から症状が顕著となり、6月と7月の検査入院で原因がはっきりし、やっと7月末からステロイドという薬の治療が始まりました。
 膠原病というのは、多種類の病気を含んだ総称です。
私の膠原病は、内部抗体からの攻撃で筋肉成分が血液に流出し筋肉劣化する病気です。
ステロイド薬治療によって血液検査の数値も劇的に改善され、その症状はやっと少し治まってきました。
 しかし、ステロイド薬の数々の副作用に悩まされております。
その代表が、むくんで太ることと歩き難くなることです。
でも今月初めから薬の量が7月当時の1/3以下の一日3錠にまで減ってきたので、副作用も軽減するのではと期待しております。
 来年こそは、杖に頼らず自分の足で何処にでも出かけたいものです。
 まあ、杖どころではなく車椅子あるいはベッドに寝たきりの方のことを思えば贅沢は言えませんね。

【横浜の生麦事件】
 前号にて、日本最初のラグビーが横浜で開催されたのは「生麦事件」との関係があることを報告しましたが多くの方から数多くの疑問点や問題提起がありましたので改めて調べました。
 生麦事件とは、幕末に横浜市鶴見区生麦で薩摩藩の大名行列に、4人の英国人が馬に乗ったまま割り込み薩摩藩士に切られた事件で、その後大きな外交問題に発展し薩英戦争にもつながった大事件です。
 しかし、そもそも生麦事件はどうして起きたのか、そしてそれと明治維新との関係はなどについて疑問点が数多くあり、しかも明治維新を早めたとも言える不思議な大事件でした。
◎薩摩藩が世間(世界)知らずで、横暴なために起きた事件か?
◎薩摩藩はイギリスとの外交下手なため薩英戦争が起きたのか?
◎薩英戦争で薩摩が大敗したから長州と尊王攘夷(外国の排斥)名目で手を結んだのか?
◎薩摩藩はもともと開国派でありながら何故尊王攘夷に転じたのか?
・・・・疑問だらけの事件です。

【事件の勃発】
 1862年(文久2年)、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父で藩政の最高指導者・島津久光が400人の行列で江戸から京都へ向かっていました。
 行列が生麦村に差しかかったおり、横浜在住商人や女性などの4人の騎馬のイギリス人と行き会いました。
4人はこの日、東海道で乗馬を楽しんでいたとも、観光で川崎大師に向かっていたともいわれています。
行列の先頭の方にいた薩摩藩士は、正面から乗り入れてきた騎乗のイギリス人4人に対し、身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したが、イギリス人は「わきを通れ」と言われただけだと思いこんだようです。
しかし、行列はほぼ道幅いっぱいに広がっていたので、4人はどんどん行列の中を逆行して進んでしまい、ついに久光の乗る駕籠のすぐ近くまで馬を乗り入れてしまいました。
 彼らもこれはまずいと気づいたらしいのですが下馬する気が無く、馬首をめぐらそうとしたり無遠慮に動いたりしたため数人に斬りかかられてしまい、驚いて逃げようとしたが時すでに遅く、一人は切り殺され、他の男性2人も深手を負い、女性は殆ど無傷のため横浜の居留地へ駆け戻り救援を訴えました。
深手の2人は流血しつつも馬を飛ばし、神奈川にある当時、アメリカ領事館として使われていた寺にいたヘボン博士の手当を受けています。

 大名行列に対する外国人の「不作法」については、以前から薩摩藩は幕府に指導する様に訴えています。
それに対する幕府の返答は、「そういう達しはすでに出しているが、言葉も通じず、習慣も違うことから、我慢して穏便にすませて欲しい」というものでした。
 しかし、実際にはそのような通達を出していません。現在の官僚の発言と同じですね。

 東海道筋の民衆は、「さすがは薩州さま」と歓呼しています。
 日本を理解している外国人も薩摩側に立ち、イギリス人4人の行動を批判しています。
 一方朝廷も孝明天皇がわざわざ出御して島津久光の労を賞するなど異例の待遇で遇しています。
しかし、生麦事件をきっかけとして朝廷が攘夷一色に染まってしまったことは、久光および薩摩藩の思惑を超えた結果でした。薩摩藩の幕政改革の意図は攘夷ではなく、彼らの不満はむしろ幕府が外国貿易を独占していたことにあったからです。

【事件後の状況と余波】
 イギリス公使は事件後直ちに、横浜で幕府の外国奉行に対して強硬に抗議しました。
 当時の幕府は薩摩藩に対して敵意を持っており、生麦事件の知らせに「薩摩は幕府を困らせるために、わざと外国人を怒らせた」と受け止める幕臣が多数で、薩摩を憎みイギリスを怖れることに終始し、対策も方針もまったく立てることができませんでした。

 そういう訳で、幕府の曖昧な態度に腹を立てたイギリスは、「謝罪と賠償金」の要求を、幕府と薩摩の両方に並行して出し、横浜港と鹿児島湾両方に艦隊を派遣して威喝しながら交渉しています。
 薩摩藩は幕府の支配下ですから並行しての外交交渉はおかしい訳です。
それだけ幕府の影響力が薄いと見られており、薩摩藩の力を重視していた訳です。
事実、幕府は直ぐに威喝に負けてイギリスの要求に応じていますが、薩摩は「お前らが悪い」と蹴飛ばし1863年(文久3年)薩英戦争に突入した根性が有りました。

【薩英戦争で薩摩藩は敗者か】
 「薩摩藩は、この戦争の敗北によって攘夷の非を悟った」と思っている方も居られるようですが、薩摩は元々開国派ですし、敗北もしていません。
 海と琉球に接し、海外からの圧力に向き合ってきた薩摩藩は、外国を排斥する攘夷は非現実的であると悟っていました。このことは鹿児島市にある「尚古集成館」という博物館を見れば一目瞭然です。

 イギリス軍は、軍艦7隻で鹿児島湾に入り込み、艦上から世界最新鋭のロケット砲で市街を攻撃し約10%もの民家を焼き払いました。
 薩摩軍は砲台からの大砲攻撃などで応戦しイギリス軍に大きな損害を与え撤退させています。
当時の民家は大部分が木造ですから簡単に燃え拡がったものです。
人的被害は、砲台の死傷者10名、市街地での死傷者9名と比較的軽微でした。
 これに対しイギリス側は戦艦損傷3隻で死者20名に負傷53名(諸説あり)と甚大で、割の合わない戦争です。しかも艦隊を維持する石炭や砲弾の不足もありました。ましてや上陸しての市街戦では薩摩軍に敵いそうにないと、早々に引き揚げ、交渉に力を入れた方が得だと判断したようです。

 結果として「日本国は、武力で植民地化するには難しそうだ。ここは金の卵を産む鶏としてうまく利用すべきだ」と考えさせたようです。ここが清国との違いです。
 薩摩藩が払った賠償金は2万5千ポンド(当時の通貨に換算して7万両)で、幕府から借りて払いました。(幕府には未返済)
 しかし、イギリスも薩摩藩も、盛んになった貿易などで賠償金以上の利益を互いに得ることができました。
 さらに、「イギリス人というのは話が通じるし、これは味方につけたらよいのではないか」と薩摩側も見方を変えていきます。結果、イギリスと薩摩藩は仲よくなり、薩摩藩の経済優位の立場をより強固にすると共に明治維新に大きく役立ったことは当然です。

 理想ばかりが先行し後先考えずに攘夷を繰り返し、薩英戦争の翌年には下関戦争を引き起こし大敗して初めて攘夷思想の間違いに気が付いた長州藩とは真逆の対応です。
 「薩長同盟」という用語のせいか、両藩は行動パターンが似ていると思われがちですが、当初は真逆に近い考え方であり、「幕府を倒して新しい政権を起こす」ということだけを共通の目的として、攘夷思想の朝廷も錦の御旗も利用して明治維新を果たしたのでしょう。その橋渡しをした坂本龍馬は凄い!
 生麦事件とそれが基となった薩英戦争から、現代においても学べることは大変ありそうです。


【親会社から離れるほど優秀】
 2002年に、四国ソーイングという縫製会社に採用されたのは、中国子会社の再建の為です。
 中国に子会社は、4社ありました。何故4社もあるのかというと、日本人一人で管理できる規模(約200人)に抑えるというのが最初の動機、次には、そのときその場所の事情で組むパートナー(株主)が異なった、即ち資本関係が異なったからです。
 しかし、工場責任者は全て四国ソーイング側から派遣しています。
そして、出資比率の低い会社ほど、空港から遠い会社ほど、優秀な責任者を派遣しています。
それは、パートナーに対して影響力を及ぼせる者、交渉力のある者を据えておきたいからです。
 大変皮肉なことですが、出資比率の小さい会社の方が立派な会社になっておおり、如何に経営者の資質と情熱が会社を変えるかの見本になっています。

 そこで、私への命題が変わってきました。
独資と出資比率の高い会社の計2社の立て直しを中心に社長として仕事をやってくれというものです。
即ち、顧問という立場から一歩踏み込んで経営者の立場から改革を推進することになった訳で、急に忙しくなってきました。
 当初は顧問として側面から改革する予定でしたが、経営者で改革となると抵抗派が必ず生まれます。
通常は、トップのリーダーシップで押さえ込みながら、徐々に教育し、洗脳して全員を改革派にして行きます。前記2社も同様に抵抗派が生まれましたが洗脳する時間がありませんでした。
 一般の会社と異なったのは私の前任者がその抵抗派を擁護していましたから改革などできる訳がないです。
 オーナーもこれではいけないと危機感を持ち、トップを私に入れ替えたのが2002年の4月でした。
改革を徹底的にやると改めて宣言しなくても、その強い意志を形で示したことになったのです。
 古参幹部の多くは、それまで私に会ってもろくに挨拶もしないし、私と同時期に採用した新人幹部をいじめるし、といった抵抗派でした。
彼らの様子を見ていたら、私の人事発令発表当日はショックで声も出なかった様子でした。
 数日後に、観念したのか考え直したのか、愛想よく挨拶はするし、止まっていた色々な改善課題について、早くやりたいから教えてくれと質問の山です。また新人幹部にも丁寧に教える様になりました。

 新人幹部は、日本で教育も受けているし働いた経験もあり、上海での日系企業勤務経験も豊富です。
 それが言うのには「私は中国人ですが。今回ほど中国人に嫌気がさした経験は初めてです。トップが替わったらこれほど手の平を替えたような対応をするのでしょうか?彼らの信念は無いのでしょうか?」

 古参幹部連中のインタビューをしました。
彼らに、共通して聞いたのは「私に、まず何をして欲しいか」です。
驚いたことに「まず、組織を明確にして欲しい。個人個人の仕事の役割を明確にして欲しい。これは平社員も同じで困っています」と異口同音に言われ、前のトップは何を・・・・?と、唖然としました。


 今年最後のコラムですが、またまた長文となってしまい申し訳ありません。
 今号は、横浜初めて物語から起草した話ですが大分反れてしまいこれまた申し訳ありません。
来年こそ本題に戻し真面目に取り組む所存です。・・・・何て言っていつまで続くかな?
 では、新年が皆様にとって佳き年であることをお祈りして筆をおきます。

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