メールマガジン

「今だから話せる佐藤のコラム 第32号」(初めての海外生活32)

┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.10.26  
┣━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第32号」(初めての海外生活32)をお届けいたします。

==========================================================================

◇「今だから話せる佐藤のコラム 第32号」(初めての海外生活32)◇

横浜初めて物語と佐藤の中国生活②
                            10月23日     佐藤忠幸
 台風一過と思ったらまた新しい台風と今年の秋は大変です。
特に19号は被災範囲が広く、私の知人やその関係者にも被災者があり各種行事の中止もあったほどです。
そんななかでも富岡川せせらぎ緑道ではキンモクセイが元気に咲き始めました。

 私の膠原病との闘いは元の気力体力に戻すべくリハビリ中です。
今号も「横浜初めて物語」と題して幕末に開港した横浜の近代史を報告します。
併せて引き続き、16年間にわたる私の中国生活で得たエピソードを報告いたします。

【横浜初めて物語②野球発祥】
 10月19日から、プロ野球の日本シリーズが始まりました。
それに因んで、横浜と野球について調べてみたら意外に関係が深いことが分かりました。
そもそも野球が日本に伝わったのは、1872年(明治5年)と言われ、日本に初めて野球を伝えたというホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、東京神田の学士会館敷地内に「日本野球発祥の地」の記念碑が建立されています。しかし、その1年前の1871年(明治4年)には、現在、横浜球場がある場所にあったクリケットのグラウンドで横浜居留外国人と貨客船コロラド号の水夫チームが野球の試合をしたという話があります。
1876年には同じ場所に横浜彼我公園(現在の横浜公園)が造られ、野球やクリケットができる外国人居留地運動場が建設され、日本初の国際野球試合も行われました。

【横浜公園の歴史】
 横浜公園誕生のきっかけは、幕末1866年(慶応3年)の大火でした。
開港場の3分の1を焼失、幕府と諸外国との間で「横濱居留地改造及競馬場墓地等約書」が結ばれ、耐火で全焼した港崎遊郭の跡地に、外国人と日本人の双方が利用できる「公けの公園」を設置することが認められました。
公園は外国人居留地と日本人市街地を隔てる防火道路(日本大通り)と一体的に計画され、イギリス人技師R.H.ブラントンによる原設計をもとに神奈川県が実施設計を担当して造営され、1876年(明治9年)2月に開園しました。
 居留外国人と日本人双方が利用できる公園として「彼我(ひが)公園」と呼ばれました。
横浜市内では山手公園の次に古い西洋式公園と言われ、日本人も出入りできた公園としては日本最古です。
 その後、横浜公園は、横浜市の管理となった明治末期、関東大震災からの復興を遂げた昭和初期、戦後の接収を経て、現在の横浜スタジアムが建設された昭和50年代と3度にわたる大きな改造を経て現在に至ります。
2009年(平成17年)、日本大通り・山下公園とともに国の名勝となりました。
横浜公園はJR関内駅のすぐ近くにあり、周囲を官公庁やオフィスビルに囲まれ横浜中華街にも近く、観光客だけでなく市民の憩いの場にもなっています。設計者のブラントンの胸像が日本大通りの中心を向いて置かれています。

【日本初の国際野球試合は横浜球場】
 「彼我(ひが)公園」の開園時、園内には外人居留地運動場と呼ばれる施設があり、野球やクリケットが行われていました。
また、居留地の新聞『ジャパン・ウィークリー・メイル』 の1871年(明治4年)11月4日号に、アメリカ軍艦コロラド号(当時アメリカ軍艦・元太平洋郵船の貨客船)の水夫と居留民とが9月30日に野球の試合を したという記事が載っています。
場所は横浜公園のすぐ近くのスワンプ・グラウンド、現在の港中学校がある辺りです。
これが日本で最初におこなわれた野球の試合だといわれています。
 1896年(明治29年)5月23日、旧制一高(東京大学教養学部及び千葉大学医学部・薬学部の前身)ベースボール部と外人クラブYCAC「横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ」の間で野球の試合が行われ、これが日本初の野球の国際野球試合と言われています。
結果は29対4で一高が大勝。当時の一高選手の野球スタイルは素足に脚絆、キャッチャー以外の選手は素手だったそうです。
この時の一高チームの張り切りようはもの凄く、相手からの「ナンジニクルカ(何時に来るか)」との問い合わせ電報を「汝、逃ぐるか」と読んで憤慨するいれこみぶりとの逸話も残っています。
したがって米国人達からなる相手チームに大勝した喜びようもただごとではなく、祝勝会で寮総代は落涙しながら次のように語っています。
「きょうの勝利はただ一高のみの勝ちではない。邦人全体の勝ちである。日本がアメリカを征服したのである」
 1929年(昭和4年)に関東大震災の復興事業の一環として「横浜公園球場」が竣工した時に、「こけら落とし」として早慶戦の新人戦が行われました。
 1934年(昭和9年)には、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ率いる米大リーグオールスターと全日本の試合が開催され、それを記念した「メモリアルレリーフ」が現在の横浜球場に残されています。
 終戦の年、1945年(昭和20)年には、駐留軍に接収され「ゲーリッグ球場」に名称を変え、日本初の夜間照明灯が完成し、おかげで1948年(昭和23年)には、日本プロ野球初のナイトゲーム、巨人対中日戦が開催にこぎ着けました。
 1952年(昭和27年)に、平和条約締結とともに公園内の一部を除き大部分が米駐留軍の接収を解除され横浜市に返還され、1955年(昭和30年)には球場改修にともない「ゲーリック球場」から「横浜公園平和野球場」と改名され、現在の横浜球場につながっています。
               (佐山和夫著「明治五年のプレーボール」NHK出版)。引用

【素晴らしい経営方針や経営理念】
 2002年に、金型製造・プレス部品製造のSS社を退職した後、四国ソーイング㈱という縫製会社へ入社したのは、労働集約産業を勉強したかったことや山本社長に惚れたということもありますが、会社の経営方針や経営理念が素晴らしく、全て共感できたからです。
今どきそんな会社には滅多にお目にかかれず、たまに出会っても経営理念は掛け声だけでがっかりしますが、四国ソーイングだけは違ってそれを具体的に展開し、実践していたそうです。
 その方針や理念は下記のとおりです。

《四国ソーインググループの会社経営方針(理念)》
1、お客様に安心して、喜んで買っていただける製品を作る。
2、QCDVSの、総合力で顧客の確保。
3、社員も、会社も豊かになり、地域に貢献する。

「具体的方針」
1、品質(Q)、原価(C)、納期(D)、品種(V)、サービス(S)を管理し、限りなく改善する。
 ①品質管理とは、お客様の求めによって約束した品質の製品を、安定的に最小限の原価で作り続けるしくみと活動である。
 ②原価管理とは、お客様の求めによって約束した価格より、限りなく安く作り続ける改善活動である。
 ③納期管理とは、お客様の求めによって約束した納期を守るため、原材料の確保や準備作業を含めて全ての作業を合理的に行う活動である。
 ④品種管理とは、お客様の求めによって売れる製品の品揃えを豊富にし、それが安定的に作り続けることができる技術・技能・計画・在庫の管理である。
 ⑤サービス管理とは、お客様の求めによって約束された事項を守れなかった場合にも、お客様の声と要求を最大限尊重して、迅速に解決して、お客様の信用をそれ以前よりも高める活動である。

2、意識改革と目標管理
  「全ての約束を守る」という意識を全社員がもつべく、意識改革を行う。
  同時に「目標管理」の推進を行う。
3、目で見える管理の推進
  今、何を、誰が、何処で、どうやっているのか、改革の進行状況を含めて誰からも見える状態にする。
  (見える管理と管理図活用)同時に、会社全体の方針と目標を明確にして大きく表示する。
4、情報の開示
  現状を正しく認識し、改善方向に誤りがないようにする。
  また、改善状況が数字で分かるようにする。
5、ルール・標準の策定
  ないものは作る。不備なものは直す。しかも、機敏に。
  ルールを作れないものは、基準となる「人」がルールである。 「利き酒名人」はその典型なり。
6、5S運動の推進
  働きやすい職場、快適な職場、不良が出にくい職場、それを全員で守る意識のある職場を目指す。
7、教育計画の策定と推進
  全社員に対する教育を徹底し、上から下まで一丸となって目標に向かう強力な集団を作る。

 当時の地方企業としては珍しく、体裁に拘らず細部にわたって具体的にしかも誰でも理解できるように書かれており、これなら「幹部がやろうと思えば」問題なく実行できる内容です。
 
【浸透していない経営方針】
 四国ソーインググループの経営方針(理念)は、ご覧のとおり立派です。
しかし、それを社員が理解し納得し実行しているかどうかが問題です。
 日本本社は短期間しか観察していないのでよくは分かりませんが、少なくとも中国にある子会社では、この経営方針(理念)が全くというほど浸透していませんでした。
 その原因の一つは、経営方針(理念)を創った中心人物の山本社長が親会社及び日本の販売会社の経営者であり、中国にある4つの子会社に直接指導できる機会が極めて少ないということです。
そのために、無理して私を採用したのでしょう。
 原因の二つ目は、社長に代わって中国企業を指導し牽引すべき日本人出向者の意識と知識に問題がありました。
 出向者の多くは中国人幹部に技術(テクニック)を教えるだけで、管理手法や管理方法・姿勢を教えません。
どうして教えないのか不思議に思って聞いたところ、
・中国人は教えてもすぐに辞めるから、
・永く勤めないから、教えても無駄だろう 
という様なお答えで驚きました。

 しかし、なおも観察していると、実は教える知識も能力も無いという実態が分かってきました。
例えば、下記の質問を日本人出向者にしても殆どが答えられませんでした。
・QCDVSとは何と何ですか?(答え=品質、原価、納期、品種、サービス)
・QCDVSはどうして重要ですか?
・5S運動の5Sとは何と何ですか?(答え=整理、整頓、清掃、清潔、躾)
・5S運動とは何のためにどうやってしますか?
・5W1Hとは何を表しますか?(答え=いつ、何を、誰が、何処で、どうやって)
 日本へ研修派遣されて学んだ中国人管理者はしっかり学習しており、殆ど答えられました。
彼らから学んだ現地人管理監督者はある程度は理解し問題ないでしょう。
しかし、大部分の管理監督者は日本人出向者から教わっています。それも殆どテクニックだけを。
多くの管理監督者は、工場経営の本質を殆ど理解しないままに部下の指導と管理をしているという現実に、ゾッとしました。

 そこで、私がやった最初の仕事は(内容と方法は別途報告)日本人出向者への教育です。
これで、当面の休日は全部つぶれました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
佐藤忠幸/Sato Tadayuki 
 TEL&FAX 045-771-1745 
 携帯電話080-5467-4187
〒236-0052 横浜市金沢区富岡西4丁目20-16
E-Mail: tada-sato@mvb.biglobe.ne.jp
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃発行元:公益社団法人いわき産学官ネットワーク協会(ICSN)事務局  
┃住  所:〒970-8026 福島県いわき市平字田町120番地
┃     LATOV6階 いわき産業創造館内
┃TEL    : 0246-21-7570      FAX    : 0246-21-7571
┃E-mail : iwaki-sangakukan@bz01.plala.or.jp 
┃URL   : http://www.iwaki-sangakukan.com
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃※配信の登録、及び解除については、こちらからどうぞ↓
┃ http://www.iwaki-sangakukan.com/m_magazine/
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



公益社団法人いわき産学官ネットワーク協会
〒970-8026 いわき市平字田町 120番地 LATOV6F いわき産業創造館内
TEL:0246-21-7570  FAX:0246-21-7571 E-mail:iwaki-sangakukan@bz01.plala.or.jp
Copyright (C) ICSN All rights reserved.