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「今だから話せる佐藤のコラム 第31号」(初めての海外生活31)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.10.05  
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第31号」(初めての海外生活31)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第31号」(初めての海外生活31)◇

横浜初めて物語と佐藤の中国生活①
                            9月25日     佐藤忠幸
 台風一過と思ったらまた新しい台風が来ており大変ですね。
富岡川せせらぎ緑道ではサルスベリとムクゲが相変わらず元気に咲いており、その足下には水仙が咲き誇り何故かホッとします。

 私の膠原病との闘病生活はリハビリ中心となり元の気力体力に戻すべく療養中です。
前号までは金沢区富岡地区を中心とした歴史や話題を送っていましたが、今号からは「横浜初めて物語」と題して幕末に開港した横浜の近代史も報告します。
併せて引き続き、16年間にわたる私の中国生活で得たエピソードを報告いたします。

【活かされない大震災の悲劇】
 15号台風は横浜市金沢区の我が家周辺は殆ど無事で、トタン板が3枚飛んできた程度ですので、金沢区は被害は軽いと思っていたら海の埋立地に作られた工業団地は大変な被害に遭われました。
ここの護岸は標高4.3mで11箇所が破損し浸水し、その結果約400社が浸水被害に遭われたということです。
ひどい会社は床上1mもの浸水で暫く操業停止です。
私が役員をした今はなきフューテック㈱があった工業団地ですから他人ごとではありません。
3日後に自動車で視察したところ、水は退いていましたが多くの会社が操業停止したままです。
大量の廃棄物を周りに積み上げ片付けており道路も半分埋まっていました。
 東日本大震災の時は辛うじて被害はありませんでしたが、当時から「金沢工業団地の堤防の高さでは危ない、しかも埋立地だから地面の液状化現象が起こる危険性大で、対策が必要だ」と叫ばれていたのですが、あれから8年経った今でも、自治体も工業団地組合は何もしていなかったというわけです。
 工業団地へ進出する企業が後を絶たなかった1970年代80年代と違って廃業する企業が増えている昨今ではそんな予算が無いということでしょうか?
 所轄役人の説明では「想定された風水害への対応は取られている。今回の台風の力は想定外だ」で終わりです。
想定する力がない、或いは想定を改める意欲も気力もなく半世紀前になされた想定をそのまま放置継続しておいたということでしょう。

 東京電力の対応不足に非難が集まっていますが、自治体など官僚の対応は地域住民よりも「上司や先輩の意思を忖度し継続すること、予算を守ること」だけの様な気がします。
日本の官僚も酷くなったなーと感じる昨今です。

【横浜初めて物語①ラグビー発祥】
 世界三大スポーツイベントのひとつと称されるラグビーW杯が日本で20日に初開催され、初戦のロシア戦を見事に勝ちました。嬉しいですね。
さらに嬉しいことには11月2日の決勝戦は横浜の日産スタジアムで開催されるそうです。
 
 日本での初開催にちなみ、ラグビーに関してさまざまな逸話を調べたところ、驚くことに「日本で初めてのラグビー発祥の地」という記念碑が二つも、それも両方とも横浜にあることが分かりました。
 日本でラグビーが始まったのは1899年(明治32年)と長いこと言われてきました。
冬の寒い時期に取り組めるスポーツがなかった当時、学生が麻雀やビリヤードばかりに興じていることを嘆いた慶應義塾大学の語学講師、E・B・クラークが、ケンブリッジ大学在学中に覚えたラグビーを学友の田中銀之助の協力を得て、1899年に塾生たちへ教えたことがきっかけとされています。
その後、1910年に旧制第三高等学校(現在の京都大学)、1918年に早稲田大学でラグビー部が創部されるまで、慶應の塾生たちは横浜の在留外国人向けのスポーツクラブ、横浜カントリー・アスレチック・クラブと交流して腕を磨いたそうです。
 そのため、横浜市港北区にある慶應大学ラグビー場に「日本ラグビー蹴球発祥記念碑」が建てられています。

 ところが横浜にいるイギリス人が、日本ラグビーがなされたのはもっと前のはずだと調べていたところ、10年ほど前に、イギリス居留地で発行されていた英字紙に「横浜フットボールクラブ(YFBC)」を1866年(慶應2年)に設立したとの記事を発見して驚かれました。
YFBCはアジア最古のラグビーフットボールクラブとして英国のワールドラグビー博物館からも認定されているほどです。
 このため、横浜中華街の真ん中にある山下町公園に「日本で最初のフットボール(ラグビー)発祥地横浜」という記念碑を関係者が作り、9月5日にお披露目されました。

 そのイギリス人はさらに調べたところ、1909年発行のオーストラリアの新聞に、1863年(文久3年)にイギリス人がクリケットとラグビーの試合を横浜で行ったという記事と絵を発見しました。
在日英国人らがメンバーの「横浜チーム」と「英国海軍チーム」との試合です。
前年の1862年には横浜市鶴見で薩摩藩士による生麦事件も起きており、開港後の横浜に移った外国人の間には不安が広まっていました。このため英仏は軍隊も派遣しましたがスポーツによる気分転換と交流を拡げたわけです。
 この記念碑はまだありませんが、日本最初の試合であることは間違いなく、日本最初のクラブ発祥の地、日本人どうしの試合発祥の地と、横浜には併せて3つも発祥地があるのには驚きました。

 余談ですが、実は、ラグビーW杯では優勝賞金は「ゼロ」です。
 サッカー界でも、2006年大会までは優勝賞金はなかったものの、スポンサー収益の拡大によって2010年大会からは出されるようになり、昨年(2018年)のロシア大会での優勝賞金は過去最高の約43億円だそうです。
アマチュアリズムに拘るラグビー界では、W杯に出場すること自体が最大の名誉だということで賞金は今回の日本大会でもゼロだそうです。

【縫製会社へ転職】
 金型製造・プレス部品製造のSS社を退職し、蘇州市のアパートを引き払う時に荷物は日本へ送らず上海にある「四国ソ-イング㈱」の上海子会社が借りているアパートへ送りました。
そこへ転職することがほぼ確実だったからです。
 四国ソ-イング㈱は社名どおり、四国の愛媛県にあった名門縫製会社でした。「でした」でお分かりのように、時代と共に今はもう消えた会社ですので実名とします。
 四国ソーイングとのご縁ができたのは、上海のT社時代の2000年です。
中小企業金融公庫顧客の中国現地法人社長連中の会合で、四国ソーイングの山本社長と企業改革について突っ込んだ話し合いをしたことがきっかけですから古いお付き合いです。
 四国ソーイングは1939年に山本社長の祖父が創業して成長した名門縫製会社です。
1959年には愛媛県「八幡浜縫製協同組合」を設立し、1976年には「高等職業訓練学校(愛媛県認定の洋裁科)の四国ファッション学院」を自前で設立するなど地元の発展に大きく寄与しています。
それらの貢献により創業者である祖父は国や自治体からの褒章は数えきれませんし、県議会議長までつとめられました。
しかし、その孫である山本社長が文字通り三代目の悲劇を背負っていたのが初めてお会いした時です。
 成長著しかった縫製業も国内生産は原価高と労働者不足によって経営困難となりつつあったようで、1994年からは中国に現地法人を順次4社も設立し、日本と中国子会社の間を毎月往復していました。
そのためか、私に興味を抱いてくださったのですが、私は上海T社に入ったばかりだし、中国での企業経営は勉強中ですので四国ソーイングにお世話になるのは「後ほど」とお断りしました。
しかし、2001年にT社を退職した時に、入社したいとお願いした時には手遅れでした。
四国ソーイングは最大の顧客が倒産し巨額の未回収金を背負ってしまい本社工場は売却し貸工場へ移転せざるを得ない等、倒産危機状態だったからです。
 入社を諦めて横浜のSS社へ入社したのが2001年であり、2002年に蘇州へ赴任した訳です。
 後から考えてみるとそういう経営危機状態ほど私の活躍の場があり、私の経験がお役に立てたのではと残念に思いますが、山本社長は私に遠慮したのと、給料を払う余裕が無かったのでしょうね。
 
【縫製業に興味】
 2001年に四国ソーイングへ入社したいと思った動機には失業したと言うことよりも「労働集約産業の典型である縫製業」に強い興味を持ったからです。
 私は学校卒業以来、アルプス電気・フューテックと電子部品関係の会社ばかりで約39年間勤めて参りました。
その間電子業界の変化はすさまじく、私の担当した職場や産業が目の前から毎年の様に消えて行きました。
あるものは地方や海外に移転し、あるものはVTRやフロッピーなどのようにそのモノが世の中から消えてしまいました。
 しかし、プレスや成形品などの基礎加工品は無くなりません。
それを経験し勉強したくてT社やSS社にお世話になったわけですが、今でもそれは大変良い機会だったと感謝しております。

 日本の産業界を支えたもう一つは、労働集約産業です。
明治維新の産業界を引っ張ったのは製糸業と紡織業であり、そして戦後の産業界を背負った中心は縫製業だと思っています。
何れも優秀で豊富な労働力に支えられていました。
日本で労働集約産業の復活は難しくてもある程度は可能であり、中国など発展途上国では十分活用の場があり、是非とも体験し勉強したかったのです。

 後ほど詳しく報告しますが、四国ソーイングの経営方針や経営理念は素晴らしく、全て共感できました。
今どきそんな会社には滅多にお目にかかれず、たまに出会っても経営理念は掛け声だけでがっかりしますが、四国ソーイングだけは違ってそれを具体的に展開し、実践していました。
 惜しい会社をなくしたものです。
 日本の産業界の大損失だったと言えるでしょう。

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