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「今だから話せる佐藤のコラム 第30号」(初めての海外生活30)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.09.13   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第30号」(初めての海外生活30)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第30号」(初めての海外生活30)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑯
                           8月23日      佐藤忠幸
 残暑お見舞い申し上げます。
富岡川せせらぎ緑道では、朱色のサルスベリが華やかさを競っています。
我が家のそれは剪定時期が悪かったのか、肥料の与え方が悪かったのか少しずつしか咲かずやや寂しいです。

 私の膠原病との闘病生活は自宅治療となり、リハビリをしながら元の気力体力に戻すべく療養中ですので、このコラムも今号から入院前の内容に戻させていただきます。
今号も、「横浜市金沢区富岡」と16年間にわたる私の中国生活で得たエピソードを報告いたします。

【富岡別荘地に住んでいた著名人 その4<富岡芸術村>】
  富岡は気候もよく、景勝地金沢八景も近く景観も良かったので、中央政界の大物や豪商、文化人らが多く保養の地として別荘を置きました。
幕末から明治にかけては多くの政治家が別荘を構えましたが、大正以降は多くの文人が富岡に別荘を構え「富岡芸術村」と言われるほどになりました。
それだけ美しい海岸線など自然美に恵まれたということです。
その代表が下記です。
◆川合玉堂(日本画家:大正6年~昭和7年)・冨岡駅東側に「二松庵」が現存しています。
 当時は京浜急行も開通前で、富岡の別荘を訪れる人々が船を使うのは現在の感覚よりも一般的だった時代です。
その後、1930(昭和5)年に別荘のすぐそばに湘南電気鉄道の「湘南富岡(現京急富岡)」駅が開業。
また1936(昭和11)年には横浜海軍航空隊の富岡飛行場ができ、騒音を嫌った玉堂は別邸から足が遠のき奥多摩の別荘に主要拠点を移されたのは残念です。
 二松庵は、いわゆる茅葺の数寄屋造りながら絵画の制作の場としての機能が重視されていました。
かつては10畳の画室から富岡の海が眺められました。
庭は歩くにしたがい景色が変化する回遊式庭園で、2本の老松があった場所には四阿(あずまや/壁面をもたない簡素な建屋)があり、ここからが最も良い眺望でした。
平成25年10月に火災により主屋は焼失しましたが、平成28年11月に横浜市指定名勝の第1号になり、毎月第一土曜日に一般開放しています。
今でもお庭から眺める富岡の海は素晴らしいですよ。
◆鏑木清方(日本画家:大正8年~昭和14年)・君ケ崎東北の丘に「遊心庵」という別荘を構えました。
  河合玉堂とは富岡での行き来はなかったようですが、東京の本宅の方では交流があったそうです。
◆直木三十五(小説家:昭和8~9年)・住居地だった富岡駅東側の慶珊寺裏に文学碑「芸術は短く貧乏は長し」が、長昌寺にはお墓が(隣に胡桃沢耕史のお墓も)あります。
 代表作「南国太平記」をはじめ、大衆作家として、大正末から昭和にかけて活躍した直木三十五は、昭和3年(1933)に富岡に新居を構えました。
文学賞の「直木賞」は、彼の先駆的な功績を記念して、親交のあった菊地寛により昭和10年に創設されたものです。
長昌寺では、毎年命日の2月24日前後の休日に、彼の代表作「南国太平記」にちなんだ「南国忌」の名称で供養と、直木賞作家などの講演会が開催されています。
◆吉川英治(小説家:昭和7年頃)農家を借りる予定でしたがやめてしまいました。
 横須賀軍港を西に控えた富岡海岸は軍事基地としての位置づけが高まり、とうとう「横浜海軍航空隊(浜空)」まで出来てしまい風光明媚な海岸線は次から次に消えてしまったことが原因のようです。

【横浜海軍航空隊(浜空)慰霊の会】
 余談ですが、太平洋戦争末期「横浜海軍航空隊」に勤務していた池波正太郎は、隊門前の桜を目にして思わず涙したと彼の著書に記しています。
「来年再び桜花を見ることはできないだろうという思いが込み上げた。死を前にしてあらゆるものの美しさに心を惹かれずにはいられなかった」という話です。彼が基地の職員ではなく兵士として勤めていたのであれば「鬼平犯科帳」や「剣客商売」は生まれてなかったでしょう。

 横浜海軍航空隊(浜空)基地は、今は富岡総合公園や警察機動隊基地となっています。
公園内にある浜空鎮魂の碑で、今月7日に夏の慰霊の会が8年ぶりに開かれました。
昭和17年(1942年)8月7日は、浜空の部隊が南洋の小島ツラギ(ガダルカナル島付近)で玉砕した日で、400名弱の若者が帰らぬ人となられたのです。
浜空会(慰霊の会)は毎年4月と8月に開催されていましたが、遺族の老齢化と戦争に対する関心が薄れてきたことなどから夏の浜空会は2011年以降中断していました。
今年は熱心に声をかける人がおられたので再開されたというわけです。何となく救われた気分です。

 風光明媚だった富岡海岸には、競って別邸を構え夏は富岡で閣議が開けた程でした。
また大正以降は富岡芸術村と言われるほど芸術家が別荘を構えたものです。
しかし東海道線開通で、東京駅から直接行けるようになった鎌倉逗子湘南方面に人気が移ってしまいました。
昭和5年(1930年)には、京浜急行の前身の鉄道が開通したものの、軍事色の強い街となってしまい、しかも戦後は米軍基地となってしまい美しい海岸線の大部分が消えてしましました。
 そして、昭和40年(1965年)から始まった横浜市六大事業の一環として金沢地先埋め立て工事により人々を魅了した美しい海岸線の姿は永久に失われたのは、極めて惜しいことです。
そういう中で1993年5月に横浜・八景島シーパラダイスがオープンしたことは大変救われた気分でした。
観光地が作られたというだけでなく、人口ではあるが砂浜が復活され無料で潮干狩りまで出来るようになったことが嬉しかったです。

 そして横浜市六大事業のおかげで勤務先のフューテック㈱という中小企業がこの工業団地に自前の工場を持てて、私もそこにお世話になったおかげで現在の生活が出来、我が家も持てたという訳で、感謝しなければなりません。

【蘇州の博物館を楽しむ】
 蘇州市は古都であるということを意識してか、博物館或いは美術館が40軒以上もあります。
その代表はもちろん歴史博物館です。
私が滞在中は普通の地方博物館でしたが2006年にパリのルーブル美術館を設計した名建築家の設計により見事に巨大博物館と生まれ変わりました。
 他には蘇州民族博物館、蘇州美術工芸博物館、蘇州碑刻博物館、蘇州シルク博物館、蘇州中医薬博物館、蘇州警察博物館、葉聖陶記念館、万盛米行 (水郷農具博物館) 、ショウ芳芳演芸館、王トウ記念館、蘇州園林博物館などが有名であり、若い通訳兼総務課員と一緒に大部分を見学しました。
普通の日本人は寺院や世界遺産の名園の見学だけで終わるそうですが、私は蘇州市を詳しく知りたいため熱心に博物館見学した訳で同行し案内(通訳)してくれた総務課員も感心していました。
聞けば彼も始めて行く所ばかりで「自分が勉強するよい機会だ」と喜んでくれました。

 それらの中で、私が最も印象に残った博物館は「蘇州革命博物館」です。
その日は、蘇州歴史博物館へ行くつもりでしたが、工事中とかで入れず代わりに行ったのが革命博物館です。
ところが、正面の入り口は閉まっているが閉館とか休館の表示がなく、開いておるのか閉めているのかさっぱり分からない状態でした。
建物の横に回ったら係員用らしき出入り口が有ったので、観られるかどうか聞こうとして入って係員を探していたらいつの間にか展示会場に入ってしまい、観る順番が逆ですが全ての展示室を観られました。
途中で係員に会いましたが、叱られることも無く声もかけられずスーッとすれ違いました。
考えてみれば私達は無銭無断鑑賞ですから注意されていいはずですが、どうして見逃すのかなー。
 これが一番印象に残った理由で、よかったのは展示物ではありません。おおらかな係員の態度です。
 展示物は、中国共産党の歴史文物・資料・写真で、「序文ホール」、「現代蘇州社会」、「大革命期」、「農地革命戦争期」、「反日戦争期」、「解放戦争期」の6コーナーがあります。
メインは「反日戦争期」です。
ご想像通り日本人にとっては面白くない不愉快な嘘っぱちの歴史展示物が多くこれは日系企業を大切にせざるを得ない蘇州市としても宜しくないと、近く閉館するだろうなと思ったものです。
ところが、私が蘇州を去って暫くしたら巨大な革命博物館として生まれ変わっていたのには驚きました。
でもお客は相変わらず殆どいないそうです。
お薦めはしませんが、共産党一党独裁国家の中国ではこういう教育設備に未だ莫大な予算を使っているということは観れば少しは理解できるでしょうね。

 とにかく、海外に赴任し駐在する場合、期間の長短に関係なく、その国・地方を学んで欲しいと思います。
まず、地元の社員や友人との交流がスタートです。
そして地元商店へ通うことで生活を学び、観光施設へ通い日本からの来客を案内できるようにします。
並行して博物館巡りで地元の歴史と環境・背景を学びましょう。
これらは、帰国してからもすごくお役に立ちますよ。

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佐藤忠幸/Sato Tadayuki 
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