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「今だから話せる佐藤のコラム 第29号」(初めての海外生活29)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.07.27   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第29号」(初めての海外生活29)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第29号」(初めての海外生活29)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑮
                                            7月15日  佐藤忠幸
 富岡川せせらぎ緑道では、白や薄紫色のムクゲが盛りと咲き、足元には朱色のヒオウギスイセンが賑やかです。
愛知県時代に学校への往復でムクゲの花をよく見た記憶をよみがえらし何か懐かしく思い、無理して狭い庭に植えたぐらいです。
しかし、数年前にムクゲが韓国の国花であることを知り何か気落ちしました。

 今号の配信は例月よりも一週間ほど早いのですが再度入院生活をするためです。
その経過と「横浜市金沢区富岡」のエピソードを報告いたします。
併せて、私の中国生活について報告いたします。

【また入院】
 6月に入院し膠原(こうげん)病に関して各種検査をしたのは前号にてお知らせしましたが、その後、その治療のため7月17日から再度入院することになりました。
6月上旬の入院検査では、内科的には異常が見つかりませんでしたが、筋肉の検査で「初めて」異常が見つかり一歩前進しました。
その精密検査の為、6月26日から30日まで入院し脚の一部筋肉を取り出す手術をしました。
「筋生検」というもので、手術室で骨格筋という筋肉組織の一部を取り出しました。
切ったのは右太ももを55mmで七針縫っただけですが、麻酔を充分効かせられず、しかも筋肉は麻酔禁止だそうで猛烈な痛さでした。
 取った組織は東京の国立研究所に送られて徹底的に調べます。
その結果は私の治療のためだけでなく、同様な病に悩む世界の人のための研究に活用されるそうで、その点では有難いことです。
その詳細な結果は7月末にならないと分かりませんが、7月8日の診察で次のことだけは明確にされました。
 『筋肉に炎症が起きており、その原因は膠原病からきた免疫の異常だ』
 このため、「ステロイド治療」をするそうです。
この治療は毎日点滴でステロイド薬を注入するだけですので通院でもよいそうですが、副作用が多いので入院を勧められそれに従うことにしました。
入院期間は7月17日から3週間の予定です。
厄介なことになりましたが、この際出来ることは全て行い、徹底的に治したいと思います。

【長い付き合いの膠原病】
 膠原病で思い出すのが2013年の中国上海での入院生活です。
その前年より日本の病院で「膠原病の恐れあり各種検査をすべき」と言われていましたが、当時は中国で仕事をしていたので一時帰国しても、一度に色々な検査が出来ず、医師から「上海にも大きな近代的な病院があるならそこで各種検査をしてもらったらどうか」と言われ紹介状を書いてもらいました。
懇意にしていた上海漢方クリニック院長に中国有数の大学病院を紹介していただき診察を受けたら「通いで色々な検査をするのは大変だから一週間程入院してくれと」と言われ早速入院しました。
幸いにして海外旅行保険を使えましたのでVIPルームで優雅な入院生活をしました。
 5日経ったら「後の検査は通いで済むので退院してよい」と言われて退院したら、その晩に自宅で高熱が出たので翌朝病院へ戻りました。
 何と肺炎です!
退院日は病院の玄関から車に乗りそのままアパートへ直行し何処にも出ていないので、肺炎に罹ったのは病院の中以外には考えられません。
もちろん、病院は院内感染とは認めません。
 肺炎に罹った関係で、持病の心臓病まで悪化進行したので、肺炎がある程度治まったのをみて救急医療チャーター便で日本へ空輸してもらい、横浜の県立病院で心臓ペースメーカー挿入手術をするという大掛かりなことをしたことを思い出します。
 膠原病検査どころではなくなりましたが、その時は「膠原病として異常は見つからず膠原病とは断定できず」で終わりました。
その後様々な機会を見つけて膠原病に関わる検査をしてきましたが、いつも異常な症状はあってもその原因は見つかりませんでした。

 6月の検査入院で異常とその原因が見つかり、今月から治療が始まることとなったのは、私にとっては大きな一歩前進です。
 異常が進行したから原因が見つかったとも言えますが、とにかく何でもよいので治療方法が見つかったということは良かったと思います。
 この際、徹底的に治すべく頑張ります。


【富岡別荘地に住んでいた著名人 その3】
 風光明媚だった富岡海岸には、競って別邸を構え夏は富岡で閣議が開けた程でした。
<金波楼・海宝楼などの料亭に通った政府高官>
明治初期、富岡海岸に海宝楼という料亭が開業されましたが、間もなく横浜の田沼太右衛門(横浜の実業家。日本人による女学校開設に奔走。横浜高等女学校、現横浜学園を創設)が買って別荘としましたが、海宝楼時代から来訪者が後を断たちません。
 ある時、伊藤博文と井上薫が、田沼家の一部屋を借りて滞在していた時に突然、北白川宮様がお見えになりました。
二人は宮様との合部屋を遠慮して、自分たちの部屋を宮様に譲りお伴の人達と布団部屋で雑魚寝したそうです。
これらのことから、また金波楼という料亭が作られたぐらい富岡の人気は高かったようです。
 海宝楼の建物の一部は、横浜高等女学校の臨海教室が作られ春の遠足会や夏の水練に盛んに利用されましたが今では、金波楼跡と共に団地の地下です。
その他の海宝楼に通っていた高官は下記です。
◆金子堅太郎‥‥伯爵、伊藤の憲法草案作成を助ける。日露戦争当時の戦時外交家。米国に特派され日露講和に功あり。
金沢区洲崎の「憲法早創之処」碑題を揮毫。
◆伊東己代治‥‥農商務大臣・枢密顧問官、伊藤の憲法草案作成を助ける。
夏島憲法碑を揮毫。
◆谷 干城‥‥土佐出身。西郷と倒幕の秘盟を結ぶ。
西南戦争で西郷軍に包囲された熊本鎮司令官。陸軍中将・農商務大臣。

 さらに、後に邸宅を構えた有力者も多数います。
◆福沢諭吉子女・孫‥‥京急冨岡駅の東側に孫の辰三が、西側に娘房子とその子駒吉(辰三の兄)が住んでいた。
◆佐藤繁次郎‥‥文寿堂社長。富岡八幡に隣接して別荘を構える。
戦後ここで国務大臣金森徳次郎が新憲法草案を執筆した。昭和憲法起草の地として記念碑が残る。

 こうしてみると、当地は、明治憲法のみならず昭和憲法をも起草したという由緒深い所で不思議なご縁を感じます。
しかし、富岡住民でそのことをご存知の方はどれだけいるのでしょうか?
もう少し地元を勉強し、地元を愛して欲しいと思います。

 それは金沢区富岡という狭い範囲だけのことだけでなく、日本国に対する意識・知識と愛国心の無さに通じているのではないのでしょうか?
それが近隣諸国になめられる遠因となっているものと思います。

【蘇州の生活を楽しむ】
 2002年に中国蘇州市で設立した蘇州S工業に赴任した私は、早速外人用のアパートを探して暮らし始めました。
とは言っても蘇州に住み暮らしたのはたった1年でした。
しかし、観光で行くのとは異なり生活実感も含めて貴重な体験をさせていただきました。
 暮らしたのは、日系企業が多く作られた工業団地に近い郊外の住宅地で、遊園地にも近い閑静なところです。
本当は、蘇州市の中心部である旧蘇州城の内側に住みたかったのですが、当時の蘇州中心部には外人が住めるようなアパートは無く、ホテル住まいとなってしまうため通勤に便利であり広さも設備も申し分ないこのアパートに住むことにしたのです。
 このアパートは香港人が経営した蘇州で初めてのホテル形式のマンションで、極めて便利にできていました。
家賃に一定の費用を加算すると、共用レストランの朝食は食べ放題、クリーニング屋も週3回取りに来てくれ無料です。
もちろん、掃除も毎日してくれます。すなわちビジネスホテル並みのサービスが付いていたわけです。
掃除洗濯という家事の苦手な私でもお手伝いさんは雇いませんでした。
したがって、休日になると食料の買い出しと市内見物をしていました。

 外国暮らしはマレーシアでも上海でも、食事の味の好みが違うのでお手伝いさんには頼まず必ず自炊をしていたので、自炊には慣れたのですが、食料の買い出しはあまり好きではありません。
アパート敷地内にも売店があるし、近所にお店やスーパーもありましたがほとんどが小規模なお店で面白くありません。
地元の人に色々聞くと近くに市場があるというのでそこへ行ったら大正解でした。
 市場は種類豊富で格安です。それよりも店員とのコミュニケーションが嬉しかったです。
言葉が通じた訳ではありませんが、顔つきと仕草で何を言わんとしているのかよく分かり、外国人である私を歓迎してくれているのがよく分かり、楽しい気分になったことを思い出します。
そのため、つい買い過ぎてしまい持ち帰ることが難しくてタクシーで帰ったことも度々です。
「10数元の買い物で10数元ものタクシー代を!」と笑われたものです。

上海の市場でも色々な経験をしましたが、蘇州の方が素朴な感じでより気分がよかったと思います。

【蘇州人と上海人】
 当時の蘇州では、上海の人達を「上海人」と呼び異国人のように扱っていました。
上海の人達も、蘇州の人を「蘇州人」あるいは「江蘇(省)人」と呼びほぼ見下ろしていました。大都市から地方を見下ろす姿勢です。
確かに上海は、当時でも2000万人を超える、一つの国家を超える様な大都市でしたし、蘇州市は江蘇省第一の都市とは言いながら500万人にも満たない都市でした。
 蘇州人が上海人を見る時は、見上げるというよりは「異国人」或いは「なり上がり国家人」という見方で「上海人」と呼んでいたのです。
蘇州は、2500年前の呉の国時代から延々と続いている都市であり、事実数百年前の史跡が沢山残っているという自負があります。
それに比べて上海は、170年前のアヘン戦争でイギリスに負けてから開港させられて、漁村から港湾都市として或いは外国人居留地としてやっと発展した新興都市だという(蘇州からの)蔑視をチラホラ感じました。
 しかし、発展すさまじい上海に追いつけ追い越せというライバル心からか、レンガ積み平屋を白のモルタル塗りで固めた古い街並みを次から次に壊して高層ビルに建て替え、風情ある路地も消えました。
 数年おいて蘇州を訪問するたびに、街の景色が変な現代風景色に変わることを残念がったものです。
そういう中で、新しいビルでも蘇州の伝統的な灰色の屋根瓦と白い壁で極力統一して、旧蘇州の民家風に装っていることだけは救いだったと思います。

 蘇州市には、もう4年も行っていません。
さぞや変わっていることでしょうね。

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