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「今だから話せる佐藤のコラム 第28号」(初めての海外生活28)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.06.30   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第28号」(初めての海外生活28)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第28号」(初めての海外生活28)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑭
                                      6月24日 佐藤忠幸
 富岡川せせらぎ緑道では、白やピンク・青色・紫色など色とりどりのアジサイが真っ盛りです。
 アジサイは、大きく分けてホンアジサイ(いわゆるアジサイ)とガクアジサイの二種類あります。
ガクアジサイは花の周囲に額縁のように装飾花が咲いているのでガクアジサイと言われています。
この花は、生まれ故郷の愛知県では見なかったので、外来種だと思っていました。
多くの方も外来種或いは新種だと勘違いしていたのではと思いますが、関東地方中心に昔から咲いている在来種です。
それよりも、ホンアジサイ(いわゆるアジサイ)の大部分が外来種です。
日本では輸入したものをセイヨウアジサイとも呼びますが、今はアジサイで外来種以外は売っていません。
江戸時代初期に日本から中国へ伝わったものが、江戸時代後期にさらにヨーロッパへ渡りそこで改良が進み、多くの園芸品種が作られたのを今、鑑賞し育てているのです。

 最近数年ぶりに入院生活をしたので、その経過と「横浜市金沢区富岡」のエピソードを報告いたします。
併せて、私の中国生活について報告いたします。

【入院した】
 今月10日から20日迄、6年ぶりに入院しました。
数か月前から悪化してきた膠原(こうげん)病という厄介な病気診察の為です。
最近、歩きにくい・節々が痛い・体がだるい・咳が出る・寒気がする、等の症状が出てきました。
風邪かな?とも思いましたがその症状が数週間も続くので医師に相談し、血液検査したら「膠原病が進行しているので直ちに入院し各種検査をして、何処の何が悪いのか突き止めるべきだ」と言われて3週間の予定で入院したのです。
今回の検査入院で異常原因が見つかるかどうか心配でしたが、病院側もそれを考慮して人間ドック以上のあらゆる検査をしてくれました。
◎歩きにくい・節々が痛いに関しては、筋電図測定(筋肉に針を刺して電流を流すという痛い検査)、X線検査、特殊血液検査(保険効かず)等。
◎体がだるい・咳が出る・寒気がする等に関しては、心臓と肺のX線、呼吸容量測定、胃カメラ、大腸内視鏡、心臓エコー、血液・尿・便検査その他で、肺や心臓・消化器などの病気やガンを徹底的に探してくれました。
 結果は、内臓には異状は見つかりませんでしたが、いつの間にかその症状は治ってしまいました。
しかし、筋肉については過去初めて異常が見つかりました。
そのため、「筋生検」という検査で何処がどの様に悪いのか調べることになりました。
普通の人はMRI検査でのですが私は心臓にペースメーカーを埋め込んでいるためそれが出来ず「筋生検」をします。
筋生検は、手術室で骨格筋の組織の一部を取り出して、特殊な装置で調べるという痛そうな検査です。
その手術室がなかなか空かないため一旦退院し、26日に再入院27日に執刀検査ということになった次第です。
入院期間はほんの数日で済むとのことですが、取り出した筋肉の分析結果はさらに10日ほどかかり、それによって今後の治療方法が決まります。
 気の長い話ですが、どういう結果になりますかね。
 どういう結果になろうとも、私は諦めず徹底的に治すべく頑張ります。

【富岡別荘地に住んでいた著名人 その2】
 風光明媚だった富岡海岸には、競って別邸を構え夏は富岡で閣議が開けた程でした。
富岡に別荘を持っていた有名人について、前号の三条実美、井上 薫に続いてご紹介しましょう。

◆田中不二麿‥‥‥明治維新の著名人物としては稀な尾張藩士。
文部大丞、司法卿、司法大臣、枢密顧問官。
慶応3年12月(1868年1月)、新政府の参与となる。明治4年(1871年)、文部省出仕と同時に岩倉使節団として渡欧し教育制度の調査。
帰国後は文部大輔となり学制実施と教育令制定を主導した。
一方、音楽取調掛を設け、伊沢修二らを欧米に派遣し『蝶々』『霞か雲か』『ローレライ』等のドイツ民謡を教育現場に取り入れると共に音楽教育の近代化を図ると共に、体操伝習所を設置し近代体育教育を導入なおかつ日本人身体の科学的調査を行ない、また女子校や幼稚園の開設に関与した。
明治13年(1880年)に司法卿に転じた。以後、参事院副議長、駐伊特命全権公使、駐仏特命全権公使、枢密顧問官、司法大臣を歴任し、晩年は再び枢密顧問官を務めた。
 富岡に本格的別荘を構え、終戦後も末裔が好んで来られたという一家でした。

◆松方正義‥‥‥薩摩出身。
 民部大丞、大蔵大輔、大蔵大臣、第4代、第6代内閣総理大臣などを歴任。
地租改正・殖産興業、紙幣整理、日銀創設、財政改革などに努力した。
別荘家屋は関東大震災で倒壊してしまったが、その後も残骸がしばらくは残されていて、昭和の始めまで見られました。
戦後に海岸が埋め立てられるまで見事な石崖が小さな岬を波から護っていて、釣場としても良い場所でした。
◆松方幸次郎‥‥‥松方正義の息子。
 実業家、川崎造船所社長、衆議院議員(日本進歩党)、美術収集家。
クロード・モネなど世界中の美術品を集めた「松方コレクション」で有名な実業家。
優れた行動力と資金力を持ち、相手の懐に上手に入り込む術も使って幅広い世界的コレクションを作りあげました。
 丁度今、東京・上野の国立西洋美術館にて「松方コレクション」特別展開催中です。(今年9月23日まで)
◆大鳥圭介‥‥‥播磨出身の旧幕臣。
 戊辰戦争では榎本武揚の艦隊と合流して函館で陸軍奉行として抗戦。
後に明治政府につかえ大蔵少丞、工部大学長、学習院長、清国特命全権公使韓国駐在公使を歴任。
彼の別荘跡地は随分前に見て知っていましたが、どういう人物かは知りませんでした。
 2年前に函館の五稜郭の展望台に上った時、説明板で幕府側の土方歳三や榎本武揚に並んで重要な人物だということを初めて知ったものです。


 『2002年に中国蘇州市で設立した蘇州S工業は「蘇州の新会社は失敗するだろう」というS会長の期待を裏切って(?)成功してしまったのは前号までに報告した通りですが、何故成功したのか考えます。』

【赴任者の行動を厳しく管理】
 開設当時の蘇州S工業には、閉鎖した東北工場の管理者・技術者が指導員・立上げ要員として多数赴任してもらいました。
工場棟の完成と同時に、各種機械設備を据付けし、運転させる必要があります。
機械の種類と量が多く、しかも全て中古設備ですので装置メーカーは据付けてくれません。
その据付け要員だけでも多数必要です。
機械設備の使い方やメンテナンス方法の現地人への指導にはさらに多くの人と期間がかかります。
そして、量産に向けての製造管理、品質管理、技術管理など多くの指導者と管理者が必要です。
という訳で、東北工場から10名ほど赴任してもらいました。
普通の会社の出向赴任と異なるのは、彼らには戻る職場が無いということです。
東北工場は別会社だから赴任が終わっても、横浜の本社工場では引き取らないという訳です。何か冷たいですね。
6名はほんの数か月という短期間で、設備が動き始めたら帰任し、次の会社に移ったようです、
残りの4名は数年間赴任という約束の管理者・技術者で、蘇州S工業発展のカギを握ったと言ってもよい要のメンバーですので、彼らには厳しく対処しました。

 最も処置に悩んだのは工場長候補のY氏に立った噂でした。
その噂は中国人管理課長のCさんとの不倫問題です。Y氏は日本に妻子がおり、Cさんはご主人とは別れていますが子供がいます。
そんな二人がすっかり出来上がっているとの噂が広まったので困りました。
この二人が工場側と事務方のトップでいては社員全体に示しがつかないと、個別に呼んで問いただしたのですがCさんは否定し、Y氏の答えは、否定はしたものの何となく曖昧な態度でした。
このため、Y氏は直ちに帰任させました。
前記のとおり彼の立場は、帰任即ち解雇ですので想定外の早期失業で悲劇だったと思います。
しかし、この処置は現地人スタッフからは高い評価を得たようです。
また「どんなに偉い人でも悪いことをすれば立場は失われる」という風評が立ったものです。

 余談ですが、その十数年後に蘇州でCさんにお会いしたら、驚いたことにY氏と正式に結婚しご一緒に暮らしているとのことでした。
もちろん、Y氏は日本の奥さんとは円満に離婚したそうです。
では、2002年当時の噂は本当だったのかと聞いたら「当時はそんな噂はデマだと腹がたったものだが、それがきっかけで本気に付き合い始めたのだから、あの噂には感謝している」とのことでした。

 Y氏を失ったのは痛かったものですが、S工業の引き締めには大いに役立ったと思います。

【厳しい品質管理】
 以前報告したように、蘇州にS社を設立したのには、世界有数のカメラ・事務機器メーカーのC社に何としても売り込みたかったからです。
C社は、日本のS工業では顧客には出来なかった極めて難しいメーカーです。
そこを顧客とする為には高い品質の製品を安定的にしかも安く供給できる管理体制が必要です。
上海時代のT社の建て直しで行ったことと同じこと、即ち、QC活動・ZD運動・5S運動・その為の5W1H管理・5W追及などの指導徹底をしました。
 特に厳しくしたのは社内品質基準です。
顧客の品質基準に合格していたとしても、会社内で決めた品質基準に不合格ならそれは絶対に出荷してはならないということにしました。
怪しきは罰するという姿勢も徹底しました。
東北工場からの出向者は「これではコストが上がって困る」と反対しましたが、中国人が苦手なモノ作りに向かう姿勢作りが重要だとして強引に押し通しました。
当初はそれをクリヤーするのは大変でしたが、一度乗り越えたら後は日常的に出来るようになり安心したものです。
間もなく、C社の工場認定作業が始まりましたが、難なく直ぐに合格しました。
C社から「蘇州にこれほどしっかりした部品メーカーが出来たとはよかった!」と喜ばれたものです。

・社内品質基準から不合格でも、顧客品質基準が合格なら出荷してもよい。
・顧客品質基準に不合格でも実用的に支障が無ければ出荷してもよい。
・その場合手続きが面倒なのでデータを誤魔化せばよい。
最近の日本にはこういう姿勢の企業があるそうですが、そういう企業は早く消え去って欲しいものです。

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