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「今だから話せる佐藤のコラム 第25号」(初めての海外生活25)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.05.04   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第25号」(初めての海外生活25)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第25号」(初めての海外生活25)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑪
                        佐藤忠幸
 春が来たなと思ったらまた冬に戻りと、寒暖の変化が激しく体調管理が大変な昨今です。
富岡川せせらぎ緑道では、まだ梅が真っ盛りですが、濃い桃色の桜も満開です。
桃色の桜は色々ありますがどうやら「ヒガンザクラ」と「アタミザクラ」のようです。
ソメイヨシノが咲く前を鮮やかに彩ってくれる有難い桜たちです。

 最近「横浜市金沢区富岡」を地域の歴史講座で学んだ知識を基に調べたいくつかのエピソードを報告いたします。
併せて、私の中国生活について報告いたします。

【インフラも年老いた富岡】
 ここ金沢区富岡地区は狭い道路ばかりでありながら坂道が多く通行に大変ですが、ここ数年毎日どこかで道路工事をして片側通行や回り道をさせられます。
ついこの間までやっていたのが「地震に強い水道管に交換する工事」で足掛け3年かかりやっと今月中に終わる予定です。
次は、「ガス管交換工事」で、交換する理由は表示されていませんがこれもガス管が寿命でしょう。
富岡地区が宅地開発されてから60年以上経っていますから、水道管もガス管も寿命を迎えることは最初から分かっていたはずです。
次に、とは言っても工事計画は未だですが、無電柱化推進工事が控えています。
電線を地中に埋めるのですから水道管やガス管と同様に道路を掘り返すでしょう。
? 何故3回に分けて掘って埋めるのでしょうか?
? 何故一度に済ませられないのでしょうか?
? 住民への迷惑は考えないのでしょうか?
? 税金の無駄遣いだとは考えないのでしょうか?
? 各行政機関は工事業者と結託しているのでしょうか?
横の連携がしっかりとしていれば、ピラミッド組織が出来ていて頂点がしっかりとしていれば、このようなことはあり得ないと一人で腹をたてています。

 その様な時に一つだけよいことが有りました。
「小型低速車を住民の足に・・産学官で交通課題解決へ」という動きで、1月にはテスト走行もしていました。
前記の如く、細くて坂道の多い富岡地区では、老人は、駅に行くのも、買い物に行くのも、医者に行くのも坂道が困りものです。
そこで、小型の電気自動車を縦横に走らせてそれら難民を救済しようという、非常に有難い動きです。
産学官とは、 産=京浜急行、学=横浜市立大学、官=金沢区 ですが、官は付き合っているだけ、許認可するだけという雰囲気を感じるので果たして実現するのかどうかは疑問です。

【鎌倉の奥座敷、金沢】
 江戸時代以前の金沢は、鎌倉の奥座敷としての位置づけであり北条家の一族金沢北条家の本拠地でした。
当時は東海道も無い時代ですので、海続きであり絶好の港湾地帯だった金沢地区は北条家の準本拠地となった訳です。
しかも近代のような埋め立て前ですから、内海が当地の下まで入り込んでおり、松島や象潟よりも有名な景勝地でした。

 そこを見下ろす場所が前記の能見堂です。
能見堂は、海沿いや鎌倉からの道路ではなく今の東海道即ち江戸や内陸部から金澤方面へ抜ける峠の上に造られたお堂です。
能見堂からの眺めは素晴らしく、東方には房総の山並みから江戸湾、湾に浮かぶ島々、南方には三浦半島の山々、そして、西方には富士山までが一望できたのです。
平安時代初期の宮廷絵師が能見堂から金沢の景勝を描こうとしたが、内海の干満で時々刻々と変化する絶景に筆が進まず、ついに絵筆を松の根元に投げ捨てたという伝説も残っているほどです。
江戸時代の元禄の頃、中国出身の亡命僧・心越禅師がこの地を訪れ、ここからの風景が瀟湘八景に似ていたことから、金沢八景の漢詩を詠み、これが金沢八景の起こりといわれています。
この頃の金沢の地は鎌倉・江ノ島と一体となった観光地でした。
そして、歌川(安藤)広重をはじめとする多くの絵師や文人墨客により「景勝地・金沢八景」が紹介され、多くの旅人で賑わったものです。

 昔、金沢八景と並び称される地としては宮城県の松島と秋田県の象潟(きさかた)です。
松島は皆さんご存知でしょうが、象潟はあまり知られていませんので紹介させていただきます。
象潟は、秋田県にかほ市(最近やたらとひらがなの地名が増えて不愉快)象潟地域です。
現在は平地だがかつては潟湖で、それを「象潟」と呼びました。
紀元前に鳥海山が噴火し、発生した大規模な山体崩壊による土砂が日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな島々ができあがりました。
浅海は砂丘によって仕切られて潟湖ができ、そして小さな島々には松が生い茂り、九十九島とも言われる風光明媚な象潟の地形ができあがったのです。
しかし文化元年(1804年)の象潟地震で海底が隆起し、陸地化しました。
その後、本荘藩の干拓事業により歴史的な景勝地は消されそうになりましたが、熱心な保存運動により今日に見られる景勝地が残されたのです。
現代も102の小島が水田地帯に点々と残されており、当時のまま九十九島という名称が付けられています。
とりわけ田植えの季節で、一帯の田圃に水が張られると、往年の多島海をほうふつさせる風景が浮かび上がり、当時の光景を偲ぶことができます。
長崎県佐世保市の九十九島は当地を語源として平戸藩松浦氏が付けた名称と言われています。
 金沢八景が水田開発と宅地開発で内海がなくなり、しかもマンション群で景観が全く様変わりしたのとは対照的です。
 我が街の富岡にしても、大規模な埋立地に造られた工業団地と住宅団地で高級別荘地の面影はなくなりました。
江戸・東京など国家の中心部との距離(経済最優先)がそうさせたのでしょうか?
 少子高齢化により過疎化が進んだシャッター通りを見ると、せめて「景観」だけは残して欲しかったと残念でなりません。


【S工業へ入社】
 元フューテックの営業課長H氏が退職後行った会社がS工業です。
私が、T社を退職したらH氏から電話があり、「S工業で佐藤さんのような人を探しており紹介を頼まれました。私は事情があって退職しましたが面接だけでも受けてくれませんか」とのことです。
当時のS工業の社長はN氏でS氏が会長でした。
A取締役とN社長の面接で私の入社が決まり、その場にS会長は立ち合いませんでした。
実はそれが後々問題となったようです。
 私を採用した背景は、S工業の内部改革を図りたいということと、これから中国蘇州市に子会社を作ろうと考えており、それらに私を活用しようというわけです。
後ほど分かったことですが、S会長はその二つとも反対だったそうで、その為に採用された私は全く不要、というよりも邪魔な存在だったようです。
入社後間もなく幹部との面談をして会社の実情・実態を把握し改革案作成に着手したところ、突然N社長が解任・退職させられました。
N社長は得意先だった大会社出身でしたので、S工業の古臭い体質に我慢できず改革を図ろうとしたのでしょう。
しかし、改革を本格的に進めると会長一派の立場が弱くなることは明確でしたのでその前に先手を打たれたのでしょう。
 A取締役も社内改革を強く推進していたのですが、会長の動きを見てこれでは社内改革はダメだと諦め、中国蘇州の新会社設立に精力を向け、私も社内改革から中国展開へ矛先転換を余儀なくされたのです。

【中国蘇州へ赴任】
 2002年になると各種調査や準備を終えて3月から中国江蘇省の蘇州市へ赴任しました。
今回も赴任期間が不明でしたので単身赴任です。
 蘇州は、上海時代に日帰り観光をした程度であまり認識が無かったのですが、江蘇省では、省都南京市を上回る第一の都市です。
歴史的にも産業的にも江蘇省というよりも中国江南地区の中心地でもあります。
余談ですが、江南地区とは揚子江の南岸、河南地区とは黄河の南岸という意味で、何れも古くから中国の文化・経済の中心地です。
産業的には、古くから絹織物で発展した国家歴史文化都市であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心です。
戦前に作られた上海豊田紡織廠も、蘇州河で送られて来る蘇州産綿花を基に発展し、トヨタ自動車の設立資金を稼ぎ出しトヨタを支えた歴史があります。
地の利でも、古来、北京と杭州を結ぶ京杭大運河(総延長2500Km)が通るなど、水運もよく利用されています。市街も運河による水運が生活に溶け込んでいることから、旧市街地及び周辺の水郷地帯を含めて「東洋のヴェニス」と呼ばれています。
 歴史的には、春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であり、臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台として知られています。
五代十国時代には呉越国の都となり、北宋の神宗時代に府(首都に准じる都市)に昇格しています。元時代末期にも蘇州に都を移しています。
明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化されています。
 しかし、アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位を低下させ、また国民党政権時代には南京を首都としたため蘇州の地位はまたしても低下しましたが経済的地位は江蘇省第一を譲っておりません。

【何故蘇州へ進出した】
 S工業はそんな蘇州へ何故進出を考えたのかと言うと、超大手の顧客候補C社が蘇州に進出が決まっていたからです。
C社への製品納入が決まれば工場の一つや二つの経営は全く問題ありません。
何としてでもC社が本格生産前に工場を完成させ、社員教育も済ませてしまい、工場監査を合格させて製品納入認可を得なければなりません。
そのタイミングと資金との関係で、最初の工場は、C社に近い新工業団地にある賃貸工場で床や内装のみ当方の仕様に合わせて改築・改装して開業しました。
製造設備もS工業の東北の閉鎖予定の工場設備の全てを、ほぼタダで輸入しました。
 しかし、蘇州の新工業団地に作られる新会社の新規設備は輸入税が免除されますが、中古設備にはいろいろな税金がかけられます。
このため、古い設備の全てをピカピカに磨き上げ、シールも貼りかえる等の「偽装(?)工作」をして輸入するなど、少々の苦労はしましたが4カ月後には開業にこぎつけました。
そして、C社の納入認可も取得してしまい、「蘇州の新会社は失敗するだろう」というS会長の期待を裏切って(?)成功してしまったのです。

 しかしS工業だけは違うと思っていたのがやはり「同族経営」です。
 そのため「出る杭は打たれる」でした。
 そこらの詳細は次号以降で。

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