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「今だから話せる佐藤のコラム 第24号」(初めての海外生活24)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2019.03.01   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第24号」(初めての海外生活24)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第24号」(初めての海外生活24)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑩
                   佐藤忠幸
 毎日寒暖の差が激しく老人には厳しい昨今です。
富岡川せせらぎ緑道では、梅がほぼ満開となりました。
何本かの白梅の中に一層華やかな紅梅が目を楽しませてくれます。
それらを見ると何となく得したような気分になりますね。
気がついたら我が家の梅も咲き始めましたよ。一層楽しみです。

 最近「横浜市金沢区富岡」の激変している歴史を、金沢区の各種歴史講座で学んでおり、それを基に調べたいくつかのエピソードを報告いたします。
併せて、私の中国生活について報告いたします。

【日本三景にも劣らなかった金沢区の海岸】
 最近数回横濱金沢文化協会主催の講演「金沢八景の成立とその歴史」を受講し、その歴史と素晴らしさに感嘆したものです。
日本を代表する景勝地としては「日本三景」が知られています。
日本三景とは、江戸初期からいわれた日本を代表する三つの景勝地のことで、宮城県中部の松島,京都府北部の天橋立,広島県南西部の厳島(宮島)の3つをいいます。
いずれも主要街道沿いの海岸にあり、松島は多くの島々の海食崖と松の風情、天橋立は宮津湾に突き出た白砂青松の砂州、宮島は弥山(みせん)の原始林を背景に瀬戸内海に浮かぶ厳島神社の風光それぞれ称えたものです。どなたも一度や二度は訪ねたことがおありだと思います。
私も何度も行っていますが残念ながら天橋立だけは未だ行っていません。
最近になって金沢区の海岸がその日本三景に負けなかった景勝地だったことを知り驚きました。
現状の富岡海岸や金沢八景を見ても、日本三景に匹敵する景勝地だったとは想像も出来ません。
〇〇八景と言われる景勝地はあちこちにありますが、著名なのは近江八景と金沢八景だけのようです。

【金沢八景は中国が起源】
〇〇八景と言われるおおもとは、明朝清朝時代に中国から伝わった「西湖十景」と「瀟湘八景」をモデルとして命名されています。
西湖は浙江省杭州市にあります。瀟湘とは湖南省を流れるふたつの河(瀟水・湘水)が合流して洞庭湖という大きな湖にそそぐ地域をこう呼んでおり、いずれも中国有数の景勝地として今でも有名です。
西湖は上海から行き易い為3度ほど行き、洞庭湖も行ったことがあります。
それらをモデルとして命名されたなかで最も著名なのが金沢八景です。
全国を旅した水戸黄門(徳川光圀)ですがあれは小説のなかでのお話しで実際はほとんど旅したことは無いそうです。しかし、金沢八景にだけは本当に旅して旅行記を表しており、名声を高めるのに一役買っています。

【金沢八景図は江戸城内にも】
 金沢八景の命名者は、中国明代の僧、心越(しんえつ)禅師です。
心越は元禄時代、徳川光圀に招かれて、水戸祇園寺の開山となった人です。心越が金沢に来たのは、元禄七年(1694)といわれています。
心越は再び見ることのない故郷の杭州西湖を偲びつつ、金沢の能見堂からの眺望を瀟湘八景になぞらえて次の8編の漢詩を詠みました。
「洲崎晴嵐(すざきのせいらん)」
「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」
「小泉夜雨(こずみのやう)」
「乙舳帰帆(おつとものきはん)」
「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」
「平潟落雁(ひらがたのらくがん)」
「野島夕照(のじまのせきしょう)」
「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」

 この後急激に有名となり、「金沢八景図」として歌川広重などに度々描かれました。
この絵図は東海道絵図同様に人気を呼んでいます。
驚いたことに、江戸城御殿の大広間の襖に金沢八景図が描かれていました。
もちろんこの御殿は焼き落ちてしまいその写ししか残っていませんが、この程新築した金沢公会堂に復元したその襖が展示されていましたので是非ご覧ください。
私の第二の故郷と言ってもよい富岡周辺の海岸風景が、江戸城中にこれほど美しく立派に描かれていたのか「なるほど!これなら日本三景に負けないな」と誇りに思ったものです。
しかし、江戸の人口が増え、江戸湾が次から次に埋め立てられ江戸市中が広くなり発展すると同時に周辺都市もその必要性が増しました。
横浜港付近だけでなく、富岡、金沢八景周辺の海はことごとく埋め立てられ、当時の面影がほとんど消え、昨今では何処が八景だろうかと場所の特定も難しい状況です。
 
そこで、金沢区制60周年を記念して、平成20年に「新金沢八景」を、多くの区民参加で選定されました。
「春色(しゅんしょく)」:西柴の桜トンネル※現在植替えて若木です
「潮干(ちょうかん)」:海の公園の白砂青松
「展望(てんぼう)」:海と緑を辿るシーサイドライン
「一望(いちぼう)」:金沢自然公園からの眺望
「彩色(さいしょく)」:八景島の紫陽花
「白帆(しらほ)」:横浜ベイサイドマリーナの夕景
「古道(こどう)」:朝比奈切通し
「梅花(ばいか)」:能見堂跡
 残念なことに、選ばれた名所の殆どが人工の海岸や景色で、能見堂跡だけが昔からのものですがそこからの景色は昔と全く異なります。
能見堂跡および海岸風景の変遷については次号で。


【無管理会社に愛社精神は育たない】
 中国企業には愛社精神が育たないと言われますが本当でしょうか?
確かに大多数の中国人は、会社そのものよりも上司や経営者を見て勤務し、仕事をし、人に忠誠心を持ち、組織には忠誠心は欠けています。
そして、愛社精神のない会社の社員は、会社が儲かることよりも自分が儲かる方法を選ぶのも事実です。
自分の給料は、自分が働いて得た当然の結果であり、会社から自動的に振り込まれるものであり、会社や上司に感謝の念はないという者が多いことも確かです。
しかし、社員をそういう考えにしたのは経営者であるという自覚がありません。
社員をけなしたり嘆いたりする前に自分の経営理念が間違っていた或いは教育不充分だったという反省が必要です。

 私が中国で最初に経験した、上海のT社も私が赴任した当初は、愛社精神はゼロでした。
しかし、いくら会社を嫌っても自ら辞める者はいなく、クビと言われるのを待っていました。
懲戒解雇でない限り、会社から解雇を言われたら退職金をもらえるからです。
再就職が難しい中年族は何が何でもすがりついていましたが・・・。
 
 もちろん、T社には尊敬された経営者も管理者もいませんでした。
部下への接し方も一方的な指示・命令だけですからね。
 とにかくこの状態でまともな経営が出来る訳がありません。
そこで、意識改革のための社員教育が始まり、社員の意思統一を図るためのスローガンを作って唱和してもらいました。

【脱同族企業に向かう】
 私のT社への入社面接で、T社長から私への期待は次の2点だと言われたことは最後まで忘れず、そこへ向かって挑戦をしていました。
1、同族会社のT社を近代的な会社に立て直し、株式の上場をするのに協力して欲しい。
2、オンボロ会社の上海T社を立て直して、T社の株評価額を上げて欲しい。
 上海T社は約束通り約1年で黒字会社に生まれ変わらせ期待に応えたと思います。
 一番目の期待には上海にいたのでは難しい課題でしたが、偶然に入社後まもなく、T社長の父親である会長が亡くなりました。
その結果、会長のご兄弟たち(T社長の叔父や叔母たち)はT社長の力で比較的スムーズに排除出来ました。しかし、最大のネックはT社長の弟であるT常務を排除するのは難解です。
何故なら母親が健在だったからです。出来の悪い息子程可愛いわけです。
上海のT社が大赤字で数十億円の離籍赤字を産んだのもT常務の責任です。
したがって、上海T社の会長を兄貴のT社長に譲り、副会長に退かされました。
同時に、常務子飼いの上海T社社長を外して、私にとって代わられました。
結果T常務は、ほとんど仕事は有りませんので、上海に来ては食堂などで駄弁っていました。
そのよき話し相手が私の指示でクビにした運転手であり、冷遇された(と思っている)出向者K氏でした。

【出る杭は打たれる】
 その様な時の2年目の春に出向者から次の要望が出ました。
「T社は近い将来上場し、そこに向かって持ち株会を作ったそうだ。自分たちも入りたいので社長に頼んで欲しい」とのことです。
早速、T社長が訪中した時それをお願いしたら快く引き受けて下さり「管理部長に直ぐに手続する様に指示する」とのお答えでした。
ついでに「私も持ち株会に入れてください」とお願いしたら、一瞬考えて「佐藤さんはその必要ありません。秋になったら一定の株を持ってもらいますから」とお答えでした。
即ち、秋の株主総会で私を取締役に推挙するというわけです。
それから1~2か月後、T常務の私への態度が急激に変化してきました。
T社長が私を取締役にすることを話したのでしょう。
しかも私が心中に思っていること、すなわち「T社のネックはT常務だ」を察したようです。
私を役員にしたのでは、彼のお気に入り運転手やK氏の次は自分のクビが危なくなると恐れたようです。
あることないことをT社長に吹き込み、日本人出向者を常務権限で抱き込み、私を排斥する様に仕向けたのです。
 T社長から解雇を告げられた時、私は一切反論しませんでした。
強固な信頼関係で結ばれていたと思っていたT社長の「弟大事」という姿勢にがっかりしたからです。
後ほど、私をT社に紹介した人材会社の社長が、新年賀詞交歓会でT社長にお会いした時、T社長から「佐藤さんを辞めさせたのは大失敗だった。彼が悪いのではなく会社が悪かったのですよ」と言われて「留飲を下げた」と電話が有ったのにはホッとしたものです。

 脱同族企業をしたいとT社長が言っておられたことについては、T社長の叔父や叔母関係者はすべて排除したまではよかったのですが、兄妹達を排除するまでには至らず、挙句の果てに娘三人(男の子はいない)あるいはそれの連れ合いを役員にしてしまいました。
長女の連れ合いを常務に、次女を三代目社長とし、三女を上海T社の社長にしたのです。
いずれにしても「脱同族企業」というのは、両親一族の排除だけという中途半端な状態で終わってしまい、この経営姿勢のためか株式上場は10年も遅れてしまいました。

 日本も世界も一流企業の全てが脱同族経営をしています。
一部に創業者一族が残っていたとしても経営にはタッチせず、資本家としての立場を貫くだけです。
トヨタなど一部の企業で創業者の末裔が社長に就いた事例はありますが、これは創業家だからと言うよりも適任だからでしょう。
実力主義を踏み外した企業や団体の末路は明確ですね。

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