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「今だから話せる佐藤のコラム 第22号」(初めての海外生活22)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2018.12.26   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第22号」(初めての海外生活22)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第22号」(初めての海外生活22)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑧
                              佐藤忠幸
 時季的には年末ですが、街の雰囲気はその気配を感じません。
一昔前だったら、年末にはバタバタした動きが、お勤めの人だけでなくご家庭でもお子さんでも感じたものですが、今はちょっと寂しいです。
まあ、都心は相変わらずでしょうが。
富岡川せせらぎ緑道の花はサザンカだけとなりました。
サザンカは元気な花で、毎日のように散りますが次から次に新しいツボミを付けて咲き続けています。
そういう中でナンテンやセンリョウ・マンリョウの実が鮮やかなことが目立ちます。

 最近「横浜市金沢区富岡」の激変している歴史を、金沢区や関東学院大学(金沢区にあり)主催の社会人講習会や歴史講座を受講しています。
そこで得た知識を基に調べたいくつかのエピソードを報告いたします。
併せて、私の中国生活について報告いたします。

【明治5年に近代的学校制度】
 最近の講義(幕末・明治の金沢)で最も感心したことは、江戸時代からの日本の教育水準の高さです。
もちろん江戸時代には教育制度は無く、教育施設は寺子屋や藩校ですが、それの普及度が凄いです。
それは当時の物流制度や貨幣制度から町民は基より農民においても、ある程度文字が読め、算術も出来る必要があったため、男子の70%弱、女子の20~30%が寺子屋などに通っていたそうです。
女子が寺子屋へ通う理由は男子とやや異なり、教育水準が高いと武家や大きな商家へ奉公が出来、数年勤めれば箔がつき良いところへ嫁げるというわけです。
という様な背景で、江戸時代の日本の識字率は世界一だったようです。
しかし、欧米の武器や軍艦を見た維新政府は日本のそれとの違いを実感し、近代化を推し進め、同時に不平等条約の改定を目指す為には、国民全体の教育水準を高める必要性を感じたということが明治政府の偉いところだと思います。
そして、早くも明治5年(1872年)には各地に小学校を作ることを命じました。
明治政府が成し遂げた大改革(革命?)として有名なのは次の3つです。
・明治2年(1869年)の版籍奉還
・明治4年(1871年)の廃藩置県
・明治6年(1873年)の地租改正
これら大改革と並行して明治5年8月2日に学制発布が行われ、近代的学校制度を定めた基本理念が確立されたことは特筆すべきことです。
江戸時代が終わって、たった数年でよくも成し遂げたものです。

 そして、その翌年の明治6年には金沢地区にも我が町の「富岡小学校」をはじめとした6つもの小学校が出来たことにはさらに驚きました。
当時の金沢地区富岡村は、戸数110戸、人口746人という小さな村にもかかわらず学制が敷かれてわずか1年足らずで学校ができたということは、すでに学校形式の寺子屋があったと推察されます。
また、それだけ、富岡地域には古くから人が住み、学問への志が高かったと考えることができます。
(富岡郷土史年表より)

【明治6年に出来た富岡小学校】
 現在の富岡小学校は我が家に近いのですが、明治初期に、こんな田舎に小学校がつくられるのはおかしいなと思って色々調べました。
富岡小学校の中に「郷土資料室」があることが分かり、電話したら見せてくれるとのことですので早速家内と一緒に見学へ行きました。
今では全く見られない、富岡川や田園風景、富岡海岸の海苔養殖や漁業風景の写真や、当時使われていた道具類が旧家からの寄付で沢山ありました。
これ程豊かな村なら豪農もおり、小学校も出来るかなと改めて感心しました。
しかし、何といっても富岡地域は維新の英雄の別荘地帯だったということが効いていると思います。

富岡小学校の学校史によると、明治6年6月18日に開設された「富岡学舎」が前身となり、激変する近代史の影響をもろに受けて変遷を繰返しています。
次のように、5度の校名変更、3度の移転を経て今日に至っています。
・明治6(1873)年 富岡東の持明院(真言宗御室派)にて富岡学舎として開校
・明治12年 武蔵国久良岐郡富岡村に移り、村立富岡小学校と改称
・明治25年 尋常富岡小学校と改称
・大正 5年 現在の富岡東3丁目に新築移転
・大正10年 久良岐郡尋常高等富岡小学校と改称
・大正12年 関東大震災により、大部分倒壊
・昭和11年 金沢村が横浜市に編入、横浜市富岡尋常高等小学校となる
・昭和16年 横浜市立富岡国民学校と改称
・昭和19年 戦災により分散授業 平塚市西部に学童疎開
・昭和20年 現在地(米軍による海軍横浜航空隊基地や兵器工場を狙った空襲により破壊された)海軍航空技術廠の工員寮の払い下を受けて移転。
・同年10月 学童疎開より引き上げ
・昭和22年 新学制実施により、横浜市立富岡小学校となる
・昭和48年 創立100周年記念式典
・平成25年 創立140周年記念式典
現在地へ移転後の跡地は、「三春学園」という横浜で唯一の市立児童養護施設となっており、今でも50数名の小中高生徒を養護し地域に貢献していることは喜ばしいことです。

 既報の如く、昭和30年代40年代になって富岡地区は再開発され、ひなびた農村が当時としては近代的な住宅街と生まれ変わり、人口も急増し小学校も増えました。
横浜市の小学校は、明治5年には3校だったものが明治6年から急激に増えて、今では340校となっています。
金沢区でも明治6年には6校だったのが今では32校にまで増えています。
増えていると書きましたが、実は10数年前から比べれば何れも5%程減っているのが気になります。


【ISOの認証取得】
 上海のT社の拡販を進めて行くと、「ISO認証」が必要となってきました。
顧客によってはそれが発注の条件となっていたからです。
日系の超大手企業は品質に関する厳重な工場監査結果によってのみ発注可否を決めてくれたのですが、品質監査能力に自信のない会社はISO認証を取得することを条件としていたからです。
「ISO」とは、スイスに本部を置く非政府機関 International Organization for Standardization(国際標準化機構)の略称です。
ISOの主な活動は国際的に通用するISO規格の制定があります。
その例として、非常口のマークや各種カードのサイズ・ネジの規格などがあり、これらは製品そのものを対象とする、「モノ規格」です。

 一方、製品そのものではなく、組織の品質活動や環境活動を管理するための仕組み(マネジメントシステム)についてもISO規格が制定されています。
マネジメントシステムとは、「組織の規定や手順を定めること」、「規定や手順を運営する従業員の責任・権限を定めること」です。
ISOの認証機関は、組織がこの基準を満たしているかを審査し、満たしていれば組織に対して認証証明書(登録証)を発行するとともに、社会一般に公開します。
利害関係のない認証機関が認証を与えることで、組織は社会的信頼を得ることができ、この一連の仕組みが「マネジメントシステム認証制度」です。

ISOは一見素晴らしい規格・制度のようですが、実は当時の中国ではその認証は「金で買えた」形式主義の権化でした。
 日本にはISOが出来る前からJIS(日本工業規格)があります。
JISは運用もしっかりとしており、今更ISOなんか不要だという企業も多かったのですが、そもそもISOを作られたのは戦後急激に台頭する日本の産業を締め出すための欧米の作戦ですから、輸出に頼っていた日本はそれに乗らざるを得ないわけです。

【形だけのISO認証】
 組織の品質活動や環境活動を管理するための仕組みは、他から言われなくとも企業として当然のこととしてT社では実施しています。
ISO認証のための中国系コンサルタントを紹介していただき相談したら、書類を作ってくれることと管理形式を整えることしか教えてくれません。
これでは、わざわざ認証を取得する必要は無いなと思ったのですが、次の3つの効果が期待できるので「仕方なく」契約し認証取得しました。
1つ目は、第三者の証明による社会的信頼の獲得・・・顧客確保
2つ目は、第三者の視点による問題点の発見・・・全く指摘は無かった
3つ目は、定期的な審査による継続的改善・・・審査機関が審査に来る前にコンサルタントから予告があり、事前に書類その他を「その場限りの形式を整える」指導をして必ず合格させるので、意味がない。

 私が永久にT社にいるつもりもないので、コンサルタント会社との契約はしましたが、「形式だけ整える」ということは全て断り、実際に行っていることで、認証機関に申請を出し評価をしてもらいました。
審査は必ず合格するという自信があったので事実、認証は得られました。
審査機関による定期検査でも、検査の時だけコンサルタントから申請書通りの行程に変更すべく指示されましたが、私は拒否しました。
申請時と異なる行程は、認証機関に変更届を出して、現実の行程をそのまま見ていただきました。
その場限りの逃げやゴマカシは一切しないということを社員に徹底したかったからです。この姿勢にはISO審査員も感心していました。

 しかし、当時の中国在住会社の多くは、コンサルタント会社や認証機関に多額の費用を払い、ISO認証を「買って」いました。
名刺交換すると、「形式だけ」ISO認証を得て(買って)いることを自慢そうに名刺に刷り込んでいるのを見て不愉快に思ったものです。
したがって、T社ではそれを名刺に刷り込ませず、相手に聞かれたら「(そんなものは)当然取得しています」と答えさせたものです。

 現在の日本企業はどうなのでしょうか?
日本にはJISが有ったのだ!
ISOの認証なんて無関係に、やるべきことはきちんとやっているぞ!
という誇りはどこへ行ったのでしょうか?
形だけの検査や管理システム、偽装工作などで経営危機を迎えている会社が多数表面化した昨今ですが、モノづくり日本は何処へ行ったのでしょうか?

来年こそ、膿を出し切り「品質こそ我らが未来」と、堂々と言える日本となって欲しいものです。

 本年もご愛読ありがとうございました。
いつの間にか、地域の歴史と海外生活での感想意見との二本立てとなってしまい、長文化してしまい申し訳ありません。
どちらか一本に絞るには今更遅すぎますし、読者層が両方に分散していますので申し訳ありませんが、今しばらく二本立てで書かせていただきます。
 では佳いお年をお迎えください。

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佐藤忠幸/Sato Tadayuki 
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