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「今だから話せる佐藤のコラム 第20号」(初めての海外生活20)


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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2018.12.02   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第20号」(初めての海外生活20)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第20号」(初めての海外生活20)◇

富岡の歴史と初めての中国生活⑥
                        佐藤忠幸
 すっかり秋となりました。
富岡川せせらぎ緑道の花は全て散ったのに、未だムクゲの花が、ほんの少しですが残っています。
今更ながらムクゲの強さに驚いています。
前号で、プールへの往復道路沿いのイチョウ並木が黄色く色づき始めたと書きましたが、色づいたのではなく枯れ始めたのでした。
ご承知のようにプールは海岸沿いにあります。このため、そこへの道路は潮風に当たります。
どうやら先月の台風で強い潮風に当たり枯れたようです。
したがって、木全体が枯れるのではなく風が当たる方角だけが枯れていました。
とにかく紅葉の前に茶色く枯れて落ちてしまうことは可哀想な気分で一杯です。
そういう景色の中で、柿が熟し始めたのは楽しみです。
今年もご近所から「渋柿だけど如何?」と沢山いただけるかなと今から楽しみにしております。
渋抜きはお手の物だからですね。

 「横浜市金沢区富岡西」の歴史は激変していますので、エピソードを報告いたします。
併せて、私の中国生活について報告いたします。

【富岡に射撃場があった】
 前号で富岡に飛行場(横浜海軍航空隊基地)があったことを報告しましたが、富岡には何と射撃場もありました。アーチェリー射場場は、現在でも海岸近くの富岡公園にはがありますが、銃の射撃場があったことは富岡在住の方でもあまり知られていません。
閑静な住宅地である金沢区富岡に、射撃場があったとは想像もできないのは当然でしょう。
射撃は現在ではマイナーですが高度経済成長期にはボーリングと並んで盛んでした。
射撃場があった場所は、金沢区富岡西6丁目すなわち国道16号線を挟んで元別荘地の反対の山側の「富岡西公園」です。我が家が4丁目ですから本当にご近所です。
その富岡射撃場は1955(昭和30)年、国民体育大会(国体)が神奈川県で行われることになったため「神奈川県営」として作られました。
当時、工作機械メーカー日平産業株式会社(現コマツNTC株式会社)が所有していた富岡の土地が周辺には住宅がないということで選ばれたようです。
国体の時には、富岡射撃場に昭和天皇・皇后両陛下も、ご来場されていました。
我が家の近くに天皇皇后両陛下がみえたとは驚きであり、感動ものです。
ライフル射撃場としても、クレー射撃場としても、ここは当時日本一の規模でした。
さらに、1958(昭和33)年、第3回アジア競技大会が東京で行われた時には、ライフルとピストル射撃競技を富岡射撃場で行うことになり設備の改修が行われました。
その後も、次々と設備の新設・増設が行われ、一般の社会人のほかにも横須賀の防衛大学の学生や、俳優の三橋達也などもよく来ていたそうで、1970(昭和45)年には約14千人もの利用者がいたほどです。
 しかし、その頃には周辺の土地が住宅地として開発されたことは前に報告のとおりで、危険な田舎にあるというイメージが強い射撃場は住民から嫌がられる施設となってしまいました。 
そこで、神奈川県は1972年(昭和47年)に神奈川県伊勢原市に移転しました。
富岡射撃場があった跡地は、公園だけでなく野球場やテニスコートもあって静かなもので、ここが射撃場だったとは想像もできません。

 そこで、思い出したのが故郷の親戚が住んでいた郊外です。
親戚へ行く途中の山中に射撃場があり凄く田舎に感じたものです。
今はそこも市町村合併で発展して住宅地となってしまったため、射撃場はどこかに引っ越した様です。
また、3年前まで住んでいた中国上海郊外のアパートの近くにも射撃場がありましたが、そこも10数年ほど前にさらに郊外へ引っ越して見えなくなりました。
何れも、射撃場を作った当時は住宅も無い郊外だったのが、土地開発で住民が住み始め、その後から住み始めた住民による苦情によって射撃場が追い出されています。
何処でもいつでも、歴史は繰り返しているものですね。
 
上海のT社でのエピソードです。
【本社からの研修出張団来社】
 上海へ度々出張で来られる本社社長や営業関係者からの話を聞いて、本社からの見学を兼ねた訳の分からない出張者が多くなりました。そこで本社社長からの指示で「研修出張」とはっきりとさせて5~7名ずつ交替で幹部が上海へ来られるようになりました。
彼らの研修内容は、上海見学、工場見学、佐藤の研修受講、受講後の目で工場見学、というコースで二泊三日だったと記憶しています。
研修科目は、中国人向けの幹部研修とほぼ同じです。
一般的には、中国子会社から中国人幹部を日本本社へ研修出張させるのが普通ですが、当時のT社は逆でした。日本本社でありながら、それ程教育が遅れていたということです。
当初は、会社建て直し中で忙しく、何で本社の面倒まで見なければならないのかと腹もたちました。
しかし、その結果として、本社側の中国現地への理解度が高まり、見下ろす目線も減り、その後の仕事がやり易くなったことには感謝しております。

【原価低減と赤字解消は異なる】
 原価低減は容易だったと報告しましたが、赤字解消には時間がかかります。
何しろ販売金額が、固定費(減価償却費・労務費など毎月ほぼ決まって出る費用)の10%も無かったのですからお話になりません。優秀な社員や管理者候補を雇うには尚更費用が増えます。
労務費をケチっては益々泥沼にはまります、というよりも、上海のT社は完全に泥沼でした。
そこで、「中国NO.1の容器メーカーになる」というスローガンを掲げ、会社改革をはかり新規顧客を確保し、損益分岐点を下げる活動以上に、販売金額を上げる活動を最初にしました。この効果は手っ取り早く絶大だったと記憶しています。
そうは言っても、損益分岐点を下げる活動もしなければなりません。
最初に行ったのが前号で報告した無駄の排除で、これは殆ど中国人社員にお任せでした。
私自信が力を入れたのは、減価償却費の削減と金型の現地調達推進です。

【減価償却費の削減】
 減価償却費とは、機械・設備や建物・金型など高額なもので寿命が数年以上あるものを買った時一度に経費で落とさず、数年間で分割して費用計上する即ち償却することを言います。
1億円の設備が5年間使えるとなれば、毎年2千万円ずつ費用で落とします。
そうは言っても当時の中国税法は資産の種類で償却年数が決まっており、それよりも短期で償却すると税金を取られました。私が赴任する前の財務責任者は、それを悪用し「使えなくても、使わなくても」全て税法の期間で償却していました。
私が赴任後、償却費が高いなと感じ固定資産を点検したところ、既に使わない設備や壊れていて使えない設備が減価償却費の半分以上を占めていることが分かり、直ちに廃却(資産から除却)することにしました。
当然その金額は膨大なものであり、その年は大赤字となりますが、どうせこの年は大赤字ですからT社長の許可を得て思い切ってすべて処分しました。
 しかし、不良資産処分時に最も障害となったのは税務署です。
何故ならその設備を輸入する時に特典を得て輸入しており、赤字であることは企業所得税を払わないことから税務署は困る、等々です。というわけで財務責任者が渋っていたのですが、私が新規に採用した財務課長に「T社担当の税務署員を呼べ、会食しながら説得する」と言ったところ、直ぐに呼んできました。これには驚きです。何故なら、当時の中国でも税務署員にルートを作り会食に呼び出せるなんて、そうそうできることでは無かったからです。
いずれにしても、税務署員としっかり打合せて会食したら、廃却処分は全て許可が下りました。そして、税務署員曰く「早く儲けなさい!所得税を払う時にはもっと私が役立つよ」でした。
翌年からは減価償却費の大幅削減が効き固定費は激減しました。

【金型の現地調達推進】
 次の重点課題は金型費用削減と調達期間短縮のための中国での金型業者開拓です。
何故社長である私自身がそれに力を入れていたのか?
それには理由が2つあります。
第一は当時の中国での金型製造技術は日本とは比較にならない低い水準だったことです。
第二は、T社には購買機能・センスがゼロだったことが挙げられます。

 第一課題の対策としては、日系人各サークルや銀行その他のあらゆる組織を使って業者を多数紹介いただき、見学して技術力・管理能力の評価を直接自分で行い、水準の高い業者を探しました。もちろん技術評価場面では日本から金型技術者を呼んでいました。
彼には業者設定をした後の技術指導も徹底してやってもらい、技術不足を補っていました。
 第二課題では、当然これはと思う業者には、見積りも出してもらいました。
当時のT社の購買は見積りを取るところまでは同じでしたが、自分で見積もることは出来ず、業者の評価も出来ませんから、見積り最安値の業者から買うだけでした。
これでは発注してからどういう物が入って来るか危ないですね。また、見積り修正や追加請求が頻繁に出てきます。
自分の見積もりでは、T社で使っていた金型は中国なら日本製の半額だと計算しました。
何故ならば、当時の中国では労務費は日本の1/10、土地や建物も日本の1/5と格安でしたが、材料も設備もろくなものが無く輸入品に頼っていたので材料費と設備償却費は日本より高くなるから総原価は日本の半分ぐらいだなと計算した訳です。
とにかく十数社は視察したと思います。
その中で数社に絞って見積りを出してもらい、最も高い業者と安い業者は捨てて、中間の2~3社に絞り込み、さらに事情聴取をして最適な業者を選定すべく努力しました。結果は日本本社が驚くほどよかったと思います。
 T社が購入した中国製金型が良かったのは、技術指導が良かっただけでなく検査を含めた品質管理指導が良かったためだと自負しています。もちろん検査設備の事前点検も行いましたが、検査の頻度・タイミング、それらの結果の活かし方などを確認し、まずければ指導を徹底しました。

 中国系企業の多くは「技術先進国日本」からの指導は謙虚に真面目に聞いてくれ、守ってくれたと思いますが、日系大企業は「未上場の中小T社が偉そうなことを言って・・・・!」と聞いたふりをしていただけのような気がします。
 そういう大企業ほど検査や品質管理は形式主義のような感想をもったものです。
この姿勢の差が、中国にある日系企業の今の苦しさの原因だと思います。特に労務費の安さだけを狙って進出した企業は深刻だと思います。

 昨今の新聞を見ていると、これらの悪い慣習は何も中国にある日系企業だけでの話ではないなと、日本の将来に心配をする昨今です。

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