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「今だから話せる佐藤のコラム 第18号」(初めての海外生活18)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2018.08.31   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第18号」(初めての海外生活18)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第18号」(初めての海外生活18)◇

富岡の歴史と初めての中国生活④ 
                              佐藤忠幸
 残暑お見舞い申し上げます。
と言いながらも時節に合わせる言い方が通じにくい昨今で困ります。
 富岡川せせらぎ緑道のムクゲは白い花は殆ど散ってしまい、今は薄紫の花しか残っていません。代わりにサルスベリ(百日紅)が真っ盛りです。
 サルスベリは中国南部原産の木です。
中国の唐時代に、紫微(天帝が住む宮廷)に多く植えられたため「紫薇」と呼ばれましたが、紅色の花が長期間(百日も)咲いていることから「百日紅」とも名付けられ、花と共にその名が日本へ伝わりました。
中国では、徐州市・襄陽市・自貢市など多くの市で市花とされるポピュラーな花木です。
日本名は、幹の成長に伴って古い樹皮が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れることによって、猿が登ろうとしても滑ってしまうだろうということでサルスベリと命名されましたが、漢字だけは中国名をそのまま使うという珍しいことをしています。
地方によっては呼び名通り「猿滑」と書くところもあります。
もちろん猿は滑ることなく簡単に登ってしまいます。

「横浜市金沢区富岡」の歴史は激変していますので、エピソードを報告いたします。
 併せて、私の中国生活について報告いたします。

【悲劇的な富岡駅】
 私の最寄り駅、京急富岡駅は悲劇的な歴史があります。
駅が出来た1930年(昭和5年)当時は「湘南富岡」と名付けられ、夏季だけのバス停のような駅でした。戦時色が強くなると海軍航空隊基地が出来、関連して軍需工場が作られたため常時停車する本当の駅となりました。
しかし1945年の富岡空襲で富岡駅も壊滅状態となり多くの人が命を亡くし、営業も休止しました。
そして1947年1月に駅は廃止されてしまい、戦後、旧海軍航空隊跡をアメリカ軍が接収して米軍富岡通信隊ができたことから、1947年3月に現在駅の東方米軍基地近くに二代目の湘南富岡駅が作られました。
当初は朝夕のみ米軍とその関係の通勤者のみしか乗降できませんでしたが、1948年春から終日停車する様になり、一般客も利用出来るようになりました。
1952年(昭和27年)占領がとけると、海水浴も富岡宅地開発も始まったので1955年に駅は元の位置に戻り三代目湘南富岡駅となりました。
1963年11月には、鉄道会社が京浜急行電鉄となったため駅名が「京浜富岡」となり、1987年には再び改名し「京急富岡」となり現在に至っています。
 この様に富岡駅は引っ越しと改名を繰り返すという悲劇も背負っています。
 京浜電鉄時代からは「海水浴の富岡」は消えて、「住宅地と工業団地の富岡」に変ってしまったことも悲劇と言えます。

 富岡周辺の人口が増えるのに合わせ、富岡駅も、1983年(昭和58年)には朝の上りのみですが急行も停まるまでに発展しました。海岸埋め立てによってできた大工業団地と住宅団地、及びそれらを結ぶバスの大ターミナルが富岡にできたおかげです。
1987年には、上り線に待避プラットホームが増設されたことなどから急行電車の停車が増え、1988年からは終日急行停車駅となり地元では大いに喜んだものです。
私も同年には急行が停まるここに土地を求め、転居した次第です。
残念なことに、1999年のダイヤ改正によって急行が廃止されてしまいました。
しかし、その時は急行電車そのものが廃止となったのですから諦めも付きますが、2010年(平成22年)羽田空港国内線ホームの完成に伴い、エアポート急行が運転されるようになった時、上り下り両隣駅が急行停車駅となり、間の富岡駅は急行通過駅となったということは近年での最大の悲劇です。

 客観的に見ると下り側隣の能見台駅はここ数十年で近代的な団地が造成され人口が急増しています。その数十年前に造成された富岡地区の高齢化が進むのとは対照的です。しかも、能見台駅と京急富岡駅とはたった700メートルしか離れてなく両方に急行を停めることには無理があります。さらに、金沢八景駅からJR新杉田駅までのモノレール開通により富岡のバスターミナルが廃止されては、京急富岡が急行通過駅となることも致し方ありません。
上り側隣りの杉田駅はJR及びモノレールの新杉田駅にも徒歩で行ける駅ですので急行停車駅となることもうなずけます。

【高齢化する富岡】
 富岡駅周辺の高齢化は急速に進んでいます。
駅の西側は殆どが1960年前後に開発された一戸建て住宅街ですので、それも致し方無いかなと思いますが東側(海側)の1970年代、80年代に出来た大住宅団地の高齢化は予想外です。
私が中国で働いている間に団地に3校あった小学校は2校に減り、1校はリハビリ専門の大病院へ変わってしまったのは驚きです。それだけ高齢化したという訳です。
 結果として、京急富岡駅からの1日平均乗車人数は、1988年(昭和63年)の19,687名をピークとして減少を続け、2016年(平成28年)には11,616名にまで減ってしまいました。
これ以上減らない様にと、地元を見直す各種講座が各団体主催で頻繁に開催されるようになったことは嬉しいことですが、乗降客回復には手遅れの感じがします。
 富岡に限らず横浜市金沢区は、横浜市全体の中で特に人口減少・高齢化が進行している地域です。この課題への対策として2014年7月には、金沢区と京浜急行を含む8団体と「かなざわ八携協定」を結び、地域活性化を図ろうとしてきたそうです。
4年間に何をしたの?効果は? 甚だ疑問です。

 先月7月には、横浜市と京浜急行が「横浜市南部地域における公民連携のまちづくりの推進に関する連携協定」という長ったらしい協定を締結しました。
今年の秋には坂の多い富岡周辺での電動小型低速車を使った地域交通サービスの実証実験が予定されるなど、具体的な課題を掲げて作業開始をしたのは一歩前進だと思いますが、これで、高齢化が停まるとは到底思われません。


【中国工場の意識改革推進】
 2000年当時の、中国上海T社の社員意識は日本のそれとは正反対と言ってもよいぐらい酷いものでしたので、工場大改装と社員教育の両面から改革を図りました。
工場の改装費用は親会社のT社長との立ち話で簡単に決まりました。
毎月の赤字補填金額の精々2カ月分で済むからです。それほど毎月の赤字補填が大きかったという訳です。
 この改装で古参社員に「君らの考え方は世界の常識の真逆だよ」ということを体感してもらったのですが効果は抜群だったと自負しています。
 そして、社員教育でモノづくりの基本中の基本を一から教えたのですが、彼らの吸収力の大きさ・速さに驚きました。あっという間に自分らのものにしてくれました。
今までの彼らの常識は何だったのかと驚くことばかりです。
何時でも、何処でも、「正しい基本」は共通だということを実感しました。
それを如何に教えているか、会社で共有化しているか、の違いでしょうね。

 教育しながら受講者(日本人も含めて)に言い聞かせたことは「ここT社にいつ迄も縛られるな、新天地を求めて何処にでも行けるように、スカウトされるように、ここで学んだことを身に付けろ、学んだことを誇りに思え」です。
他社からスカウトされる様な優秀な人間ばかりにしたい、そして、T社にしがみ付き、その為に上司のご機嫌を取るばかりの人間は早く排除し、人事の停滞を防止したいからです。
もちろんその為の人事制度の構築は次の課題として残ります。

【新しいスローガン】
 最初に聞いた「営業としての悩みは、製品である容器への異物混入というクレームが多いこと」という問題は早々に解消されました。
 営業の「売れない言い訳」を消したのですから「さー売れよ!」とハッパをかけ、同時に社員の意識も変わったし、工場環境もよくなったということで、「もうお客を呼んでくれ」と顧客候補に見学してもらうべく呼び込みました。
工場見学に来た日系企業幹部は一様に「こんなしっかりした容器工場が中国に出来たのかー、待っていたよ」と次から次に注文を出してくれるようになりました。
一部上場のトップクラス企業を、それも親会社では到底顧客に出来ない超一流企業を顧客にしてしまったのですから親会社は尚更驚いたようです。

 でもそれだけでは恒久的な発展を望めません。
 そこで、「中国NO1の容器会社になろう!」という大それた(?)スローガンを作り、毎週の合同朝礼で唱和ました。
日本人は?非現実的?なスローガンだと思っていたようですが、中国人社員は本気になって挑戦してくれました。
そして、その実現のために、
「QCDVS活動の徹底で活力ある会社作りをしよう」という活動をしました。
Quality=品質:良いものを。品質管理体制の確立とISO認証取得、5Sの更なる徹底。
Cost=原価:安く。予算制度・原価管理によるコストダウン、責任の明確化。
Delivery=納期:決められた通りに。各種電算システムの確立で納期短縮。
Variety=品揃え:お客が欲しがるものをたくさん。そして金型の現地調達で新製品増。
Service=お客の心を掴む。販売各グループの競争で販促及び細心なサービス。

 カギは、何といっても、絶対に高品質です。
この方針は絶対的なものとして厳しく植え付けました。
どこかの国の様に、検査データーを誤魔化したり、表面的・形式的な検査をしたり、という様なことは、意識改革後のT社中国人はしようとも思わなかったと思います。
派遣された日本人は分かりませんがね。

その他の具体策は別途報告します。

 中国赴任間もない私がこれほど早期に手を打てたのは、前任者が何もしてないため、ゼロからやることは簡単だったからです。またマレーシアでの起業経験が大いに役立ちました。
さらに"慣習と組織を大事にする小姑を排除した"ことが極めて大きかったと思います。
そして、この時ほど各種日本人会や銀行関係などの上海で構築したネットワークが役立ったことはなく、今でも感謝に絶えません。
 
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