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「今だから話せる佐藤のコラム 第15号」(初めての海外生活15)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2018.06.30   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第15号」(初めての海外生活15)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第15号」(初めての海外生活15)◇

富岡の歴史と初めての中国生活①
 
                              佐藤忠幸
 富岡川せせらぎ緑道は、初夏があっという間に過ぎて真夏となったと思ったらまた初夏に戻りと、温度調節の難しい陽気で困ります。
真っ赤な花をつけるブラシノキは早くも枯れ始めてしまい、本来6月から咲き始める黄色いビョウヤナギや濃いピンク色のサツキが真っ盛りで目を楽しませてくれます。
 サツキは「五月」とも「皐月(さつき)」とも書きます。
5月に花が咲くから五月だという説もあり、今真っ盛りだからピッタリだと思われる方もおられますがそれは大きな誤解です。
現在では新暦5月の別名としても用いていますが、元々は旧暦5月を皐月と呼びます。
旧暦の5月は新暦では6月から7月でありその季節としては梅雨であり、田植え時期です。
したがって、五月雨(さみだれ)とは梅雨の別名、五月晴れ(さつきばれ)とは本来は梅雨の合間の晴れのことです。
5月連休前後からサツキが咲き出すという今年は異常です。
五月と皐月の違いですが『日本書紀』などでは「五月」と書いて「さつき」と読ませており、「さつき」を皐月と書くようになったのは後世です。
「皐月」という表記は、元々古代中国文に現れされる陰暦五月の別名で、後に日本に伝わってその表記も使われるようになったようです。

 前号までマレーシアのことを報告していましたが、ちょうど今はイスラム教徒が日の出から日没まで断食を行うラマダン月です。今年は、5月15日(火)頃から6月14日(木)頃です。「頃」と曖昧なのは、ラマダン月の期間は目視による月齢観測によるため日程は直前に変更されることがあるからです。
昨年のラマダンは5月27日から6月25日まででしたので、昨年お知らせした様に11日間早まっていますね。イスラムのカレンダーは、1年が354日だからです。
ラマダン終了後には約3日間ラマダン明けの祭りが行われ、日本の盆と正月が一度に来たような大騒ぎをします。
なお、近年,ラマダン月及びその前後の期間に世界中で多数のテロ事件が発生しており、外務省からも注意情報が出されていますので念のため。

 以前報告しました様にここ「横浜市金沢区富岡西」の歴史は激変していますので、エピソードだけを報告いたします。
併せて、私が外国で暮らすこととなった経緯について報告いたします。

【海岸埋め立てで野鳥観察園ができる】
 昭和40年代から本格的に始まった金沢海岸埋立事業で、住宅団地、工業団地そしてその境目に緑地帯を作ったことは以前お知らせしました。その緑地帯の中央部分は当初から公園用地として計画的に確保され、昭和57年(1982年)に長浜公園として一部開園されました。
その後運動施設や子どもの遊び場などの整備を進め1992年に野鳥観察園の整備を終えて全面開園されました。
 明治時代に野口英世がアメリカ留学前に駐在していた、長浜の検疫所横には戦前は大型船を導いた船溜まりがありました。当時はその中に2つの桟橋があり、外国からやってきた船が消毒や隔離などの期間、停泊する場所でした。
海を望む景色の美しいところで、その景色はここを訪れた与謝野鉄幹・晶子らによって詩に残されています。
 この為、汽水(海水と川の水が混じり合った水)の池ができ色々な野鳥が集まるようになっていたことを利用して「野鳥観察園」が作られたという訳です。
私は観察園工事の前に魚釣り場を探そうとして、そこへ入り込んだことがありますが、アシが多過ぎて釣りどころではないなと思ったものです。
 「野鳥観察園」は、横浜で初めての人工干潟を持つ汽水池です。
水路で海と結ばれ、潮の干満によって水位が変化する生きた池です。その周りには湧水を利用した淡水池やアシ原、林などで多くの生物が暮らせるような環境がつくられています。
そのため、色々なカモやメジロなどの野鳥が集まります。色鮮やかなカワセミや準絶滅危惧種のミサゴが姿を見せた時には感動ものです。
 その自然な姿を4箇所ある観察小屋から見ることができます。
出来ましたら双眼鏡を持参されると良いですよ。
都会の大団地のすぐ横に、この様な自然が残っていることは極めて珍しいことです。
なお、公園の「長浜」の名は昔ここに長い浜があったところから名づけられたそうです。
 
【富岡駅に急行が停まらなくなった】
 私が、ここ金沢区富岡町に暮らすようになったのは、勤務先と釣り場(海)に近いこと、そして横浜にしては土地が安いのに富岡駅が京浜急行線の急行が停まる駅だったからです。
富岡町の人口は多くはありませんが、南に大きな工業団地と住宅団地を抱えていることからその各方面を巡るバスが発着している大きなバスターミナルがありました。
そのおかげで急行が停まる駅だったのでしょうね。
 しかし、平成元年(1989年) モノレール金沢シーサイドラインがJR新杉田駅から京急金沢八景駅までの約11Kmを結んで開通したことで事情が一変しました。
シーサイドラインとは横浜市営のガイドウエイ方式の新交通システムで珍しいことに無人運転です。
沿線には、住宅団地や工業団地はもちろん、産業振興センター・海外技術者研修センター・横浜市立大学附属病院などがあります。そして1993年に開業した八景島シーパラダイスまでも沿線駅に抱えることになりました。
 当初の数年間は、バスとシーサイドラインの併用運行でした。しかし、シーサイドラインの赤字経営からの脱出がなかなか出来ないことからバス運行を思い切って減らしたところ、シーサイドラインの客も増えてきたようです。しかし、バス便は激減し、バスターミナルは盛り時期から比べれば1/3以下に縮小し、今では2ルートしか出ていません。それも一日に数本しか出なく、事実上バス便は無くなったのです。
おかげで、富岡駅に急行は停まらなくなってしまったというわけ。残念なことです。

【目の前から事業消滅する電子産業】 
 私の職歴はアルプス電気とフューテックがそれぞれ19年で合わせて38年間を電子工業界で過ごし、様々な機会をいただき勉強もさせていただきました。
 そして、18年間に常に自分の仕事や事業が目の前から消えるという歴史を繰返してきました。
 最初に消えた職場はアルプス電気時代のTVチューナー関係の仕事です。入社し最初に配属されたのは東京工場ですが10年も経たずに、福島県・宮城県に製造拠点が移ってしまいました。
それも東南アジアへ拠点が移管され、最後はTVチューナーそのものがなくなりました。次の職場はテープ式のコンピューター用磁気ヘッド関係でしたが、コンピューターにテープを使わなくなり、フロッピ―ディスクに変ろうと言われましたがそれもあっという間に世の中から消えてしまいました。
そんな時期に声がかかったためS社長のFT技研に合流したわけですが、あっと言う間にCVC方式のVTRがなくなり、VTR用磁気ヘッド製造のフューテックに移りました。後にそれの製造拠点のマレーシアで仕事をするようになりました。しかし、VTR用ヘッドどころかVTR自体が世の中から消えてなくなったことはショックでした。
 製品や業種変更をしたくても、フューテックのような中小企業は資金力の関係で倒産か廃業せざるを得ません。同業者や仲間の多くは今でも行方不明なのは極めて残念なことです。
数多くの取引先で残った業者の大半は、モノを切ったり削ったりという基礎的加工産業です。
このためフューテック㈱から退職し、電子工業界から足を洗ったのが2000年です。 

【中国上海のT社立て直し開始】
 フューテックを退職した時は、まだ57歳でしたので再就職先を電子工業界以外で探しましたが、当時は日本での職場は極めて少なかったように思います。
外国勤務なら愛着のあったマレーシアを希望しましたが、各社が競って拠点を中国に移している最中でマレーシアに仕事は有りません。
 そんな中、東京のT社に入社したのが2000年3月です。
 T社は電子工業界からは完全異業種の、ある容器の製造販売会社です。
製造販売といっても、製造を始めて未だ数年しか経っていません。元々は商社でして下請け数社を抱えて委託生産をしていました。
 T社は創業者が会長であり、その長男が社長、次男が常務です。その他の義兄弟や叔父が役員に名を連ねた典型的な同族会社です。
2代目社長のT氏は、私の採用面接で私の採用事情を「脱同族企業を図りたいので手伝って欲しい、その前に上海の子会社を立て直して欲しい」と説明されました。
 長男が本社社長を引き継いだ時、父親は親心で次男にも会社を持たせようと商社を新たに設立し次男を社長に据えました。長男の本社が自前の工場を作ったら、今度も次男に工場を持たせようと、子会社である商社の子会社として上海に製造会社を作らせました。
日本に二つの工場を持っては兄弟げんかの元になると考えて上海に作ったようです。
 そんな不純な動機で作った工場ですから毎月大赤字です。その親会社である商社は元々赤字です。
 T社は数年以内に株式上場を目指していましたが、赤字の子会社や孫会社を抱えていたのでは株の評価が下がると金融機関から指導があり、子会社の商社を廃止・吸収し、孫会社の上海工場を直接の子会社化し、再建をしようと私を採用したわけです。
 入社早々にT社長に同行して上海工場視察に行って驚きました。
企業としての体を全くなしていないからです。
前記の如く、不純な動機で作られた工場ですから、売り先も目標もなく、毎月、経費節約だけに努めています。管理者も設備も安いものを求めていますからまともなものはありません。
 T社長に「この会社は早くつぶして新工場を作った方が早いよ」と申し上げましたが「子会社がつぶれたという評判が出ては困る。しかし、出来れば1年、遅くとも2年で何とかして欲しい」ということで、建て直しに入ったのが2000年の4月です。
 これが、この先16年にもわたる中国生活のスタート点となったわけです。

 当時のT社は、今の官庁や古い大企業と同様に腐った官僚機構と同じ古い体質で、しかも、未だ創業者の会長がご存命でしたので、古参幹部は2代目社長を冷ややかに見ていました。
そのなかで1年や2年で立て直すというのは並大抵のことでは出来ません。
しかし、やりがいもあり面白かったですよ。詳しくは次号で。

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