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「今だから話せる佐藤のコラム 第13号」(初めての海外生活13)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2018.05.06   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第13号」(初めての海外生活13)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第13号」(初めての海外生活13)◇

富岡とマレーシア進出前の歴史③
                          佐藤忠幸
 急に冬に戻り雪が降って驚きました。体調管理に難しい時季ですね。
 富岡川せせらぎ緑道の梅も終わり、木蓮(モクレン)と椿そして裏山の杏子(アンズ)が満開となりました。桜は未だポツリポツリという感じです。
 椿の花は植えるお宅によって赤や朱色、桃色、白色など様々な色と形ですので、色々な品種があるのでしょうね。
椿は花が終わると花弁を落とすのではなく、つぼみごとポトンと落ちます。だから病気見舞いには不向きだそうです。
 木蓮の花は、花弁の外側は紫に近い紅色から桃色へ、内側は白色にと変化し鮮やかです。
しかし、ここらで多いのは真っ白な白木蓮(ハクモクレン)です。木全体が真っ白となり、遠くから見ると白梅との区別がつかないぐらい見事です。
木蓮は日本原産の花と思っていましたが中国の雲南省や四川省が原産地だそうで驚きました。
 アンズは桜と区別が難しいぐらい淡いピンク色の花です。
でも何故かここ横浜市富岡周辺では数が少ないのが勿体ないことです。
アンズ酒はうまいのですがね。
アンズを見ると40数年前に行った「あんずの里」を思い出します。
長野県千曲市更埴(こうしょく)にあり、春遅い信州に桜より一足先にひらく日本一のアンズの里です。
丘に登れば一目十万本といわれているあんずの里が見渡せました。

 以前報告しました様にここ「横浜市金沢区富岡西」の歴史は短く、しかし激変しているようで今年から色々と資料を繰って調べたので、簡単に報告いたします。
併せて、私が外国で暮らすこととなった経緯について報告いたします。
 
【横浜市金沢区と富岡町の歴史その3】
 今号は金沢区富岡海岸を埋め立てが開始され軍事産業が興され始め出してからと終戦まで歴史をたどります。

1936年 久良岐郡金沢町・六浦荘村が横浜市に編入。磯子区の一部となる。
1936年 富岡海岸を埋め立てて横浜海軍航空隊を設立。
1937年~海軍技術廠が建つもそれだけでは間に合わず、大日本兵器産業、石川島航空工業、日本飛行機などの軍需工場が相次いで操業開始。
1945年 富岡周辺の軍事基地・軍需工場そして京急富岡駅が大空襲で死者多数。
1946年 金森徳次郎が富岡にて昭和憲法草案を考える。

 昭和の富岡は海岸を大胆に埋めたて避暑地や別荘地から脱し、それが戦後の経済復興や高度成長に役立ったことは確かなようです。
しかし、埋め立て地に軍事基地や軍需工場を大々的に起こしたが為に、大空襲に襲われるという悲劇を呼んだことは確かだということは認識すべきです。

【富岡の芋観音】
 先日、直木三十五の墓があることで有名な長昌寺のお参りをしました。
長昌寺は別名「芋観音」ともいわれ、毎年3月初めに「芋観世音御開帳」がされるからです。今年は3月4日にされたのですが、うっかり忘れてしまったのでh半月遅れでお参りしてきました。
 天正2年(1574年)、小田原北条氏の家臣で富岡を領した柳下豊後守が亡き妻(法名「桂窓長昌大姉」)の菩提を弔うために長昌庵を創建しました。瑚林慶珊大姉とは江戸初期、冨岡村の地頭であった豊島刑部明重公の母親の法名です。明重公は、江戸城三大刃傷の一つを起こした方で、地元では名君であったそうです。
 長昌寺はそういう由緒ある富岡での名刹の一つです。

 お寺に行ってまず目についたのが、表参道の立派な石段です。この石段は、かつて野口英世が勤務していた横浜開港検疫所の階段を移設したものですから立派なわけです。
門をくぐると樹齢約700年の柏槙をはじめとする銘木が何本もある、小さいが落ち着いた良い雰囲気のお寺です。
 芋の葉が繁る池の(今はないが)そばに祀られた観音様は、疱瘡(ほうそう)よけや美人になる神様とされていました。疱瘡は、昔は「いも」ともいわれていたので「芋観音」の名で呼ばれたそうです。
 芋観音の前には一対の獅子(狛犬)がいますが、内一頭は子供の獅子がいて母乳を飲んでいる姿が珍しくまた愛らしく思えます。獅子は通常、向かって右側がオスで阿形像、左がメスで吽形像と言われていますが、このお寺は左右反対というのも珍しく思いました。

 今回直木三十五のお墓を久しぶりにお参りしました。
お墓は、長昌寺本堂の裏手にある芋観音堂の横にあります。前に記したように胡桃沢耕史のお墓と並んで建てられています。
一般信徒さんのお墓地は裏山にあり、鉄筋コンクリートと鉄柵で頑丈に囲まれていますが、このお二人のお墓はお堂の横すなわち平地に建っています。
最初のお墓は家のあった慶珊寺に作られましたが、本人の「海の見える墓地」という遺志に沿って昭和57年に禅宗の長昌寺へ改葬されたはずです。
ところが今のお墓地は平地で海が全く見えません。不思議に思って調べたら崖崩れで危険なためここへ降ろし改葬したそうです。
慶珊寺が「海の見えるところへという遺言だから改葬を許したが、海が見えない現在地だったら改葬の根拠がないので慶柵寺へ戻せ!」とクレームを付けたとか。
 もっとも山に戻しても、その後埋め立てが進み海岸線がはるか遠くに移っていますので海が見えるかどうかは怪しいものです。
 彼のお墓地は二度も改葬しています。
 終の棲家だと思った富岡の自宅は一年も住まわずに亡くなっています。
せめてお墓地だけはそっとしてあげたいものです。

【経営改革】
 後にマレーシアへ進出し、私も長く外地で暮らすきっかけとなったのはフューテック㈱にお世話になったからとも言えます。
 そのフューテックのものづくり意識改革と品質改善の次は、会社全体の意識改革、経営改革に取り組みました。それは、今でいうところの「働き方改革」かもしれません。
 当社は、開発やのS社長のものの考え方が「良くも悪くも」浸透している会社です。
「良くも」の面では、改善の方向が見えだすと自主的に主体的に猛スピードで走りだします。前号で報告した結果でお分かりの様に認識さえしてもらえば行動は早いのです。
「悪くも」の面では、とにかく「何でも一生懸命やる」ということで、その一生懸命の中身が問題でした。
 ある時、賞与の人事考課のとき、T君に対する私の人事考課が低すぎるとS社長からクレームが付きました。「T君は、残業もいとわず一生懸命働いている、どうしてこんなに低い査定か?」とのことです。
私としては、
?残業に対しては残業手当で酬いている。
?残業代即ち会社経費をそれだけ多く使っているが、それだけの成果は出ていない。
?しかも地位や給料に見合う働きをしていないので賞与考課は低くなる。
という考えでした。
 この考え方は、会社に強く残っていた「残業時間が多く・長く働く者ほど可愛がられ・褒められた」社風を打ち破るものでした。S社長とはこのことで何回も議論しやっと納得していただき、そのときからS社長自ら改革に動き出し、自ら「人間形成道場」シリーズを40数回も講演してくださいました。
長い間続けられた社風は、口で変えろと言っただけで変わるものではありませんので、休日に保養所を借りて幹部研修を行いました。
 残業も「残業を何時間やります」という自己申告制から「〇〇のため、残業を何時間やれ」という命令制に180度変えました。ただし、残業に対しては、制度は変えても、意識まで含めて命令制に変ったとまでは、行かなかったと思います。
まさに働き方改革を30数年前に試みたわけです。

【製品の製造改革】
 当時のフューテックは、映像ヘッドの開発とヘッド心臓部のチップという部品製造に特化しており、映像ヘッド完成品組立てのノウハウは全くと言ってよいほど無く、完成品組立ては協力工場H社に100%依存していました。
このため、H社を度々訪問し、値下げも要求しましたが「組立てをやってあげている」という姿勢が強く、値下げどころではありません。「文句があったらいつでも止めるよ、設備を引きあげてくれ」と開き直られたほどです。「分かりました、止めるのはちょっと待ってください、半年後引きあげます」と答えて、直ちに新しい協力工場を探し始めました。同時に社内でも、パートタイマーを急ぎ採用し完成品組み立てラインを編成し、社内にも組立てノウハウを構築したのです。
 そして、完成品組み立てはFT技研時代にお世話になったR社にお願いしました。
 ちなみに、H社には半年後「お約束通り引き上げます」と通告し、トラックで設備や部品を引き上げた時は、本当に引き上げるとは思っていなかったようで驚いていました。
 その後諸事情があって協力工場は変わりましたが、一貫して「発注する側、される側」お互いに協力する、努力するということで、どちらかが一方的に依存するという姿勢は排除しました。
 もちろん、お互いに協力できるという実力が双方に必要です。
その為に自社の組立て生産ラインでの試行錯誤結果を標準化し協力工場に流しました。協力工場側には当社の言いなりにはならず組立てのプロとして提言や改善提案を積極的に出すように求めました。
R社は期待通りで生産技術担当者からの提言や忠告は頻繁にあり物凄く役立ちました。
しかし、H社依存に懲りたので、たとえ発注量が少なくても常に二社購買に心がけました。
 フューテック社に生産技術という考え方が定着したのも、数年後にマレーシアへ工場展開できたのも、R社およびその後にお願いしたS社などからの協力のおかげだと今でも感謝しています。

 当時は3Kという言葉が流行っていました。
 3Kとは「キツイ、キタナイ、キケン」のローマ字の頭文字をとった言葉です。当時のフューテックは汚くはないものの長時間労働が当たり前で似たような会社でした。達成できたかは疑問ですが、そこから脱するのが私の使命だと勝手に思っていたものです。

 最近は新3Kを排除しようと諸所で言われているそうです。
 新3Kとは、「過剰生産、形骸化、事なかれ主義」の3つです。
消えた会社の大部分に、特に経営者が2代目3代目の会社にはその風潮が強いようです。フューテックもS社長が退任してからその傾向が出てきたように感じたのは寂しい限りです。

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