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「今だから話せる佐藤のコラム 第9号」(初めての海外生活9)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2017.11.23   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第9号」(初めての海外生活9)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第9号」(初めての海外生活9)◇

日本国憲法起草の地とマレーシアの国王
                        佐藤忠幸
 いつの間にか立冬(11月7日)も過ぎ、「冬」になってしまいました。
ご近所のせせらぎ緑道の花は椿が咲き始めて季節を感じますが、最近この樹は随分減りました。毛虫が嫌われたのでしょうね。
その中で目立つのは、狂い咲きサツキの鮮やかなボタン色です。
如何に気候が不順だった分かります。
その代わりに各お庭の柿やミカンが賑やかです。
柿は渋柿が多いのか取らない人が多く、長く目を楽しませてくれます。
先日も我が家にご近所から大量の渋柿をいただき、家内が渋抜きに精を出していました。
我が家にも柑橘類の樹は各種ありますが、手入れが悪いためかどの実も酸っぱくて私以外は小鳥も家族も食べません。
しかし、採らないと野鳥の餌食となってしまう甘いミカンが一本だけあり、これは急いでもぎ取りました。

【11月3日は憲法公布の日】
 11月3日の「文化の日」は昭和23年に制定されました。
しかし、実はこの文化の日という名称もその趣旨も本来の意味とは無関係です。
11月3日は日本国憲法が昭和21年に『公布』(こんな法律が成立したと国民に知らせること)された日だということはご存知ですか?
いや憲法記念日は5月3日だよという方も居られるでしょうが、5月3日は公布半年後に憲法『施行』(実際に実行に移され効力を持つこと)の日です。
この11月3日は元々明治天皇のお誕生日であった『明治節』と呼ばれる祝日でした。
敗戦後GHQは天皇や神道に関わるものを徹底的に排除し『明治節』も廃止させられました。
ですが、明治天皇のに関わる『明治節』はどうしても残しておきたいという意図が日本政府にあったため、日本国憲法の公布を11月3日にして、それを隠れた別の名前で祝日にしたと言われています。
 他にも同様にGHQによって変えられた日は2月11日の「紀元節」が「建国記念の日」に、11月23日の「新嘗祭」が「勤労感謝の日」などがあります。

 ところで、我が富岡町は近代憲法起草の地であることはご存知でしょうか?
以前報告しました様に、この地(横浜市金沢区富岡町)は昭和30年代までは海に面しており、政治家や文人、金持ちが住む別荘地帯でもありました。
その関係で、明治憲法も昭和憲法も当地周辺で起草されたのです。

 明治20年頃に、富岡にて伊藤博文を中心に、井上 毅、伊東巳代治、金子堅太郎の4名が「明治憲法」の草案作りをしました。
途中泥棒が入りお金と一緒に草案が盗まれてしまいました。
しかし、泥棒はお金が目的ですので草案が入ったカバンは捨てられたため無事に戻りました。
心配になった彼らは金沢八景にある伊藤博文の別荘で完成させました。
したがって、富岡と金沢八景の両方に「憲法草創の碑」が建てられています。

 昭和憲法ですが、戦後、日本が二度と戦争を起こさせなくするためと統治をしやすくするために、GHQが草案を示して作らせたものです。
そこで、憲法担当大臣金森徳治郎が、GHQ草案をベースに、それを日本国として恥ずかしくない憲法とするために、富岡の別荘で練りに練ったのです。
金森徳次郎は、自分が起草した新憲法は、その根幹には「日本人の考えを文章化したもの」だ、「押しつけの憲法だとは言われたくない」、という強い思いがあったと思います。
まさに、「日本国憲法の生みの親」と言えます。
さらに金森の偉かったところは、のちに法の番人である法制局長官に就き金森イズムを守り続ける多くの後継者を育成したことです。
その点では富岡の田舎家は「金森塾」だったとも言われています。
富岡の「日本国憲法起草之地」碑は、富岡八幡宮付近の幼稚園隣に子ども達の歓声に包まれてひっそりと立っています。

 実は、自治体や地域団体はこの記念碑を建てようとはしませんでした。
昭和憲法に関しては「押付けの憲法」というイメージが強かったので遠慮したのかもしれません。
この記念碑は、平成に変ってから無いことを嘆いた地元の篤志家によって建てられたものです。
私も富岡に引っ越す前は、昭和憲法と富岡の関係は全く知りませんでした。
憲法改正かどうかの議論が盛んになった今、憲法起草地富岡の存在を見直して欲しいものです。


【マレーシアの憲法と王様】
 憲法に因んで、マレーシアの話題も憲法に絡んだ王制について記します。
マレーシアは立憲君主国家であり、国王はアゴン (Agong) という称号を持っています。
珍しいことに、この国王は任期が5年と決められており、しかも世襲制ではなく選挙で選ばれることが憲法で決められている異色な王様です。
とはいうものの一般国民には選挙権はなく、スルタン (Sultan)と呼ばれる各州の君主の互選で選ばれます。
マレーシアを構成する13の州のうち、スルタンが存在しないペナン州・マラッカ州・サバ州・サラワク州を除いた、9州のスルタンの中から国王を選出します。
各スルタンはもちろん世襲制です。
この制度は、現在のマレーシアが過去の小王国(首長国)の集合体によって構成された経緯によります。
国王の選出は、憲法ではスルタンによる選挙制となっていますが、実際には各州のスルタンが輪番で国王に選出されることが慣習化しています。
たぶん初期のころは王位をめぐって深刻な争いがあったのでしょう。
任期5年で9人の輪番制となると、45年に一回しか国王の機会がまわって来ません。
何歳の時に州のスルタンになるかによっては国王になれなかった運の悪いスルタンが相当数いたことになりますね。
昨年暮れが国王交代時期でして現国王ムハマド5世の即位式が行われました。
王宮で開かれた即位式では、儀式用の短剣やイスラム教の聖典コーランに口づけし、イスラム教の保護と国家の平和の維持を誓ったそうです。

 国王の権限は、立憲君主国家として憲法に規定されており、多くは内閣の助言に基づいて行使されます。
首相の任命についても国王自らが判断することは出来るには出来ますが、内閣は下院に責任を負っているため、下院多数党の党首が首相に任命されています。難しい書き方でごめんなさい。
簡単にいえば色々な権限は、下院の決定や内閣の決定に基づいてのみ履行できるという訳です
日本の天皇陛下の権限とほぼ同じでしょう。
かつては国王とスルタンは、公私共に法的免責特権を有していましたので悪いことをして私服を肥やしたり、暴力事件を起こしたりするスルタンがいたそうですが、1993年の改憲で私的行為についての免責特権が廃止されました。
公務については国王を提訴することはできませんが、国王の公務に対して責任を持つ政府を提訴することができるようになっています。

 マレーシア国王の重要執務は、天皇陛下が祭祀をとり行うことと同じように、国教であるイスラム教の最高指導者としての祭祀です。
イスラム教最大のお祭り「ラマダン(断食)」をイスラム歴の9月(西暦だと毎年変わる)に30日間行いますが、断食明けの第1日目をハリ・ラヤ・プアサと言い、断食を終えたことを盛大に祝います。
この日に合わせて里帰りし、大掃除やごちそうを準備したり、洋服を新調したりと日本の正月とは比べようもない大騒ぎでした。
マレーシアでの正式な断食開始と終了は、国王が肉眼で新月を確認して宣言します。
毎年この時期は嵐で月が見えなくならないことを祈ったものです。
ただし、少々の雲や雨ならどこかで見えるところを探して、無理して見てくれますから大丈夫でした。

 企業の国王とのかかわりは、我が社では社長の私が無関心であったせいかあまり感じませんでした。
しかし、他社を見ると国王と王妃の肖像が飾られていることが多く、ローカル役員の助言もあって我が社も事務所壁に国王夫妻の肖像を飾りました。
地方の会社だと国王ご夫妻に加えてスルタンご夫妻の2枚と首相の写真も加えて飾る企業が多かったと思います。

 王宮は日本の皇居と異なり、フェンス越しにお庭や御殿が垣間見られるため、度々日本からのお客さんを案内したものです。
門扉に立つ衛兵は、普段は門の両側に直立不動で彫像の様にジッと立ち、その右側には騎乗の警備兵が一人立っています。
衛兵の横に観光客が並んで写真を撮ってもニコリとも怒りもせず立っておりそれが評判でした。
さらに毎日数回行われる衛兵の交代式は圧巻で何度も見学しました。

 この王宮は、クアラルンプール市中心部の駅近くにあり観光客にとっては便利な御殿でした。
それというのも元々は約90年前に華僑のスズ成金が建てた豪邸だったからでしょう。
便利で広いということで第二次世界大戦中は日本軍が、戦後はイギリスが官舎として使用していました。
それを新国家ができ現国王制度が出来るのに合わせて、国が買い取り王宮に改築したという歴史の浅い御殿です。
しかし、建てたのが華僑であり、日本軍やイギリスが使用していたという歴史は、マレーシア国家としては複雑な感情を覚えたようで、2011年に新王宮を造り移ったそうです。
新王宮は、私は見ていませんがその、雰囲気や衛兵のいる門の形や行事は変わっていないようなので、行ったら是非、衛兵交代式をご覧ください。
なお、旧王宮は2013年から公開しており、内部も手続きすればガイド付きで見学出来ます。

 見学と言えば、私が滞在していた1996年に中央刑務所が郊外に移転したので、旧刑務所が博物館として見学出來ました。
旧王宮と同じく都心にあり、エックス型の巨大建造物でした。
マレーシア独特のムチ打ち刑や死刑もここで行われておりその生々しい跡も見られました。
惜しいことに、傷みが激しいため1998年に閉鎖され今は商業地区として再開発されたそうです。
私はよいタイミングに滞在したものです。


 ところで、マレーシアの憲法は1957年施行以来50回近くの改正を行っています。
それは憲法条文で政府運営の細目まで決められているため、時代の変化に伴い改正しなければ政府運営が出来ないという事情もあるようです。
それにしてもほぼ毎年の改正とは多いですねー。
憲法改正には、日本と同じく国会の2/3以上の決議が必要ですので選挙戦は必死でした。

日本の現憲法は改正無しで施行されて70年も経ちました。
日本がお手本としている先進国では、ドイツが58回、フランスが27回、カナダが19回、イタリアが13回、アメリカでさえも6回と、日本とは比べようもない多くの改正をしています。
70年間も改正していない国は世界で日本だけの様です。
憲法というのは、政府の行動を縛るもので、それを基にして国民を縛るのは法規法律です。
法規法律は手軽に作り変えるのに、憲法はそのままにし、社会の変化に付いていけなくなると解釈だけ適当に変えるということは如何なものでしょうか。

11月は3日と23日の2日間祝日がありますが、この2日間ともにGHQによって祝日の名前も趣旨も(基は明治節と新嘗祭)変えられたものです。
本来のものに戻し、そして国民全員で祝日の本当の意味を再確認し、学校でもキチンと教える必要があると思います
いつが真の独立日なのか曖昧ですが、国家が独立して数十年経った今でも、憲法を含めて何故日本固有のものにしないのか不思議に思う11月です。

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