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「今だから話せる佐藤のコラム 第6号」(初めての海外生活6)

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┃◆┃(公社)いわき産学官ネットワーク協会News  2017.08.20   
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┃  「上海レポート」でお馴染みの佐藤忠幸氏より
┃ 『今だから話せる佐藤のコラム』が届きましたのでお知らせいたします。

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 中国での会社設立・販路拡大等を支援している、
(公社)いわき産学官ネットワーク協会アドバイザーの佐藤忠幸氏から
「今だから話せる佐藤のコラム 第6号」(初めての海外生活6)をお届けいたします。

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◇「今だから話せる佐藤のコラム 第6号」(初めての海外生活6)◇

     マレーシアでの戦争
                              佐藤忠幸
 相変わらず暑いですねー。
 暑さのピークは過ぎてもいないのに、お盆を過ぎたので残暑と言うべきだそうで何か違和感を覚えます。
 庭のムクゲはまだ咲き誇り、先月後半から咲き始めたサルスベリのピンクの花と華やかさを競っています。
今年は裏山のサルスベリも咲き始めました。この木は10数年前に庭の木から株分けしたのですが、長い間花は咲きませんでした。そのくせ幹だけはどんどん大きくなるので今年咲かなければ切り倒してしまうつもりでした。
その気持ちを察したのでしょうか、今年は親木と同じピンクの花を見事に咲かせました。これでは切る訳にもいきませんね。

 今年も無事に8月15日となり戦後72年となりましたが、この日を迎える度に占領地でもあった外地で暮らした私には違和感をもつことがいくつかあります。
日本ではあの戦争のことを知らない世代が大半です。また知っていても思い出したくない人も多い様で、戦争のことを語る人は殆どいません。
しかし、罪もなく一方的に被害に遭われたアジアの方々にとっては到底忘れられないことだということを自覚して欲しいものです。
私がマレーシアにいた1990年から99年までの間(古い話ですみません)に体験した、あの戦争にまつわる事柄を報告いたします。

【8月15日は何の日?】
 8月15日を日本では「終戦記念日」と称していますが、それは世界では少数派です。
まず、終戦に関わる日は下記の4つがあります。
・8月14日・・・ポツダム宣言受諾を連合各国に通達した日。
・8月15日・・・玉音放送で日本の降伏を日本国民に公表した日。
・9月2日・・・・日本政府が連合国への降伏文書(休戦協定)に調印した日。
・1952年4月28日・・・・サンフランシスコ平和条約の発効により、国際法上連合各国と日本との戦争状態が終結した日。

この内、8月15日を記念日としているのは日本と、日本が統治(占領?)していた韓国の「光陽節」と北朝鮮の「祖国解放記念日」だけです。
その他の国は、9月2日或いはその効力発生日の3日を「戦勝記念日」や「終戦記念日」としています。

 次に不思議なことは日本が「終戦記念日」と称していることです。
8月15日は単にポツダム宣言受諾すなわち降伏を各国に一方的に通達した日です。降伏を正式に各国から認められたのはやっと9月2日であり、それも単なる休戦であり、本当の終戦は1952年4月28日です。
だから各戦地では、休戦となる9月2日まで戦争状態が続いていました。しかし、日本軍幹部(職業軍人)は玉音放送を聞いた途端、これ幸いと戦場・戦闘を放棄し(?)異国で働いている自国民や前線の徴衛兵を放棄して逃げ帰ってしまいました。8月15日から9月2日の間に亡くなった方や捕虜で連れ去られた方は何十万人でしょうか?その代表的な悲劇が旧満州です。

 外地で働いた私としては、8月15日ではなく9月2日を、終戦ではなく「敗戦記念日」とすべきだと思いました。
もうひとつ思うことは、早く「けじめ」を付けて「戦後」という表現は止めたいものです。

【日本語が通じた母親】
 私がマレーシア現地法人社長時代に片腕として重用した若手役員J氏は、一人前の役員として社員の誰からも認められるようになったことは既報の如くです。
その象徴として若いながらコンドミニアムを購入しました。
コンドミニアムとは日本流に言えば高級マンションというところでしょうか。
アパートとは明らかに異なり、広いお庭やプールが必ずあります。お部屋も広々としており豪華なものです。
そのお披露目パーティに招待された時の話です。
彼の一族や友人も出席してコンドミニアムの中庭でバーベキューパーティが開催され、奥さん妹さんそしてお母さんを紹介されました。

お母さんを紹介された時に、
「この度はおめでとうございます。息子さんのご努力には感謝しております」
と、私が拙い英語で話しかけたところ、
「こちらこそ、息子が大変お世話になっており有難うございます」
と日本語で返ってきました。
もちろん私も驚きましたが、もっと驚いたのは息子のJ氏です。
母親が日本語を話せることをこの時に初めて知ったのです。

「日本語はいつ何処で勉強されたのですか?」という私の問いに
「50年ほど前に学校で習いました」とのお答えです。
とっさに、日本軍が太平洋戦争中マレーシアを占領し日本語学習を強要したことを思い出しました。
思わず「昔の日本は随分悪いことをして申し訳ありません」と謝りました。
母上は「あなた方が悪いのではありません、日本軍が悪かったのです、でも今は何とも思っていません」と仰ってくれました。

英語と日本語半々のこの会話を"茫然"として聞いていたJ氏は「意味は何となくしか分からないが物凄く嬉しいよ」とのことでした。
突然占領され惨めな思いをさせられ、おまけに日本語学習を強要された母親は、最愛の息子がその日系企業に入ることには葛藤があったと思います。
息子の意志を尊重し、黙って許してくれたことにJ氏は感謝していました。

【アジアに残る恨み節】
 上記J氏の母上の逸話は1993年頃のお話です。
まだ戦後48年しか経っておらず、東南アジアの何処へ行ってもこの類(占領中)の話はありました。
マレーシア東海岸では国際的に有名な観光地以外には行くなと言われていました。
何故かと言えば、いわゆる「銀輪部隊」と言われた日本軍がタイ南部に上陸し、マレーシア半島の東西両方から自転車で南下し、各地からイギリス軍を追い払いながらシンガポールに向かいました。
ついでに行ったのが共産軍の排除であり、この方法がマレーシアやシンガポールから恨みをかう大元となっています。
共産軍の大半が中国人です、彼らと中国系マレー人との区別はほとんどできません。したがって、共産軍が村落に逃げ込んだら誰を撃ってよいのか分からなくなりました。
日本軍は「共産党軍は〇分以内に出てこい、出てこないと村人全員を撃つぞ!」と脅しました。村人は後ろから共産軍に銃を付きつけられ「出たらお前たちは殺すぞ」と言われ、出るに出られません。それなのに、〇分後に日本軍によって全員撃たれた村は多数あったと聞いています。特にそれが多かった東海岸ではその恨みが残っているので観光地から出るなという訳です。

大半が中国系民族のシンガポールはイギリスを追い出したものの、共産軍と市民や華僑との区分が余計難しく、無差別な虐殺が横行していました。だからシンガポールには巨大な「日本占領時期死難人民記念碑」や各種戦跡記念碑が多数建っています。
シンガポールで直接恨み節を聞いたこともあります。
90年代の終わりごろだったと思いますが、一人でタクシーに乗り行先を言ったら
「あなたは日本人か?それならシートの後ろにあるアルバムを見てください」とのことでした。
何だろうと思ってアルバムを取って見たところ、日本軍の残虐行為やその跡の写真や絵が一杯貼ってありました。
やはり「悪いことをしました。申し訳ありません」と謝ったら
「貴方が悪いのではありません。日本軍と日本政府が悪いのです。それを分かってください」とのことでした。
この時点では日本政府は明確に謝っていません。
日本としては謝ったつもりかもしれませんが被害国民にはそのようには聞こえていません。日本人の私でもそれは感じていました。
だからタクシーの運転手はそれを訴えたのでしょう。
マレーシア・シンガポール作戦は、「日本軍は一人のマレー人も殺さなかった」とも言われました。
「マレーにとっての日本は、イギリスをやっつけに来てくれた正義の味方のような存在だった」ともいう話も日本ではあります。
しかし、実態は全く異なるものでした。
韓国や中国・台湾その他東南アジア諸国へ行くと似たような体験には必ず出遭ったものです。

 J氏の母上と出会ってから20数年経った2017年。
各地に赴任している方は、あの戦争で、そこで日本軍が起こした歴史的事実とその国民感情はご承知・ご理解していますでしょうか?
今更 謝る必要はありませんが、歴史的事実は承知の上で謙虚にお過ごしください。

 またまた長文で申し訳ありません。この続きは次号で。
 ご質問やご意見、多数お待ちしております。

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